2008年11月10日月曜日

 ミルクホールに這入《はい》る。上下《うえした》を擦《す》り硝子《ガラス》にして中一枚を透《す》き通《とお》しにした腰障子《こししょうじ》に近く据《す》えた一脚の椅子《いす》に腰をおろす。焼麺麭《やきパン》を噛《かじ》って、牛乳を飲む。懐中には二十円五十銭ある。ただ今地理学教授法の原稿を四十一頁渡して金に換《か》えて来たばかりである。一頁五十銭の割合になる。一頁五十銭を超《こ》ゆべからず、一ヵ月五十頁を超ゆべからずと申し渡されてある。
 これで今月はどうか、こうか食える。ほかからくれる十円近くの金は故里《ふるさと》の母に送らなければならない。故里《ふるさと》はもう落鮎《おちあゆ》の時節である。ことによると崩《くず》れかかった藁屋根《わらやね》に初霜《はつしも》が降ったかも知れない。鶏《にわとり》が菊の根方を暴《あ》らしている事だろう。母は丈夫かしら。
 向うの机を占領している学生が二人、西洋菓子を食いながら、団子坂《だんござか》の菊人形の収入について大《おおい》に論じている。左に蜜柑《みかん》をむきながら、その汁《しる》を牛乳の中へたらしている書生がある。一房絞《ひとふさしぼ》っては、文芸倶楽部《ぶんげいくらぶ》の芸者の写真を一枚はぐり、一房|絞《しぼ》っては一枚はぐる。芸者の絵が尽きた時、彼はコップの中を匙《さじ》で攪《か》き廻して妙な顔をしている。酸《さん》で牛乳が固まったので驚ろいているのだろう。
 高柳君はそこに重ねてある新聞の下から雑誌を引きずり出して、あれこれと見る。目的の江湖雑誌《こうこざっし》は朝日新聞の下に折れていた。折れてはいるがまだ新らしい。四五日前に出たばかりのである。折れた所は六号活字で何だか色鉛筆の赤い圏点《けんてん》が一面についている。僕の恋愛観と云う表題の下に中野春台《なかのしゅんたい》とある。春台は無論|輝一《きいち》の号である。高柳君は食い欠いた焼麺麭《やきパン》を皿の上へ置いたなり「僕の恋愛観」を見ていたがやがて、にやりと笑った。恋愛観の結末に同じく色鉛筆で色情狂※[#感嘆符三つ、320-13] と書いてある。高柳君は頁をはぐった。六号活字はだいぶ長い。もっともいろいろの人の名前が出ている。一番始めには現代青年の煩悶《はんもん》に対する諸家の解決とある。高柳君は急に読んで見る気になった。――第一は静心《せいしん》の工夫《くふう》を積めと云う注意だ。積めとはどう積むのかちっともわからない。第二は運動をして冷水摩擦《れいすいまさつ》をやれと云う。簡単なものである。第三は読書もせず、世間も知らぬ青年が煩悶《はんもん》する法がないと論じている。無いと云っても有れば仕方がない。第四は休暇ごとに必ず旅行せよと勧告している。しかし旅費の出処は明記してない。――高柳君はあとを読むのが厭《いや》になった。颯《さっ》と引っくりかえして、第一頁をあける。「解脱《げだつ》と拘泥《こうでい》……憂世子《ゆうせいし》」と云うのがある。標題が面白いのでちょっと目を通す。
「身体《からだ》の局部がどこぞ悪いと気にかかる。何をしていても、それがコダワ[#「コダワ」に傍点]って来る。ところが非常に健康な人は行住坐臥《ぎょうじゅうざが》ともにわが身体の存在を忘れている。一点の局部だにわが注意を集注すべき患所《かんしょ》がないから、かく安々と胖《ゆた》かなのである。瘠《や》せて蒼《あお》い顔をしている人に、君は胃が悪いだろうと尋ねて見た事がある。するとその男が答えて、胃は少しも故障がない、その証拠には僕はこの年になるが、いまだに胃がどこにあるか知らないと云うた。その時は笑って済んだが、後《あと》で考えて見ると大《おおい》に悟《さと》った言葉である。この人は全く胃が健康だから胃に拘泥《こうでい》する必要がない、必要がないから胃がどこにあっても構わないのと見える。自在飲《じざいいん》、自在食《じざいしょく》、いっこう平気である。この男は胃において悟《さとり》を開いたものである。……」
 高柳君はこれは少し妙だよと口のなかで云った。胃の悟りは妙だと云った。
「胃について道《い》い得べき事は、惣身《そうしん》についても道い得べき事である。惣身について道い得べき事は、精神についても道《い》い得べき事である。ただ精神生活においては得失の両面において等しく拘泥《こうでい》を免《まぬ》かれぬところが、身体《からだ》より煩《わずら》いになる。
「一能《いちのう》の士《し》は一能に拘泥《こうでい》し、一芸《いちげい》の人は一芸に拘泥して己《おの》れを苦しめている。芸能は気の持ちようではすぐ忘れる事も出来る。わが欠点に至っては容易に解脱《げだつ》は出来ぬ。
「百円や二百円もする帯をしめて女が音楽会へ行くとこの帯が妙に気になって音楽が耳に入らぬ事がある。これは帯に拘泥《こうでい》するからである。しかしこれは自慢の例じゃ。得意の方は前云う通り祟《たた》りを避け易《やす》い。しかし不面目《ふめんぼく》の側はなかなか強情に祟《たた》る。昔しさる所で一人の客に紹介された時、御互に椅子の上で礼をして双方共|頭《かしら》を下げた。下げながら、向うの足を見るとその男の靴足袋《くつたび》の片々《かたかた》が破れて親指の爪が出ている。こちらが頭を下げると同時に彼は満足な足をあげて、破《や》れ足袋《たび》の上に加えた。この人は足袋の穴に拘泥していたのである。……」
 おれも拘泥している。おれのからだは穴だらけだと高柳君は思いながら先へ進む。
「拘泥は苦痛である。避けなければならぬ。苦痛そのものは避けがたい世であろう。しかし拘泥の苦痛は一日で済む苦痛を五日《いつか》、七日《なぬか》に延長する苦痛である。いらざる苦痛である。避けなければならぬ。
「自己が拘泥するのは他人が自己に注意を集注すると思うからで、つまりは他人が拘泥するからである。……」
 高柳君は音楽会の事を思いだした。
「したがって拘泥を解脱するには二つの方法がある。他人がいくら拘泥しても自分は拘泥せぬのが一つの解脱法である。人が目を峙《そばだ》てても、耳を聳《そび》やかしても、冷評しても罵詈《ばり》しても自分だけは拘泥せずにさっさと事を運んで行く。大久保彦左衛門《おおくぼひこざえもん》は盥《たらい》で登城《とじょう》した事がある。……」
 高柳君は彦左衛門が羨《うらや》ましくなった。
「立派な衣装《いしょう》を馬士《まご》に着せると馬士はすぐ拘泥してしまう。華族や大名はこの点において解脱の方を得ている。華族や大名に馬士の腹掛《はらがけ》をかけさすと、すぐ拘泥してしまう。釈迦《しゃか》や孔子《こうし》はこの点において解脱を心得ている。物質界に重《おもき》を置かぬものは物質界に拘泥する必要がないからである。……」
 高柳君は冷《さ》めかかった牛乳をぐっと飲んで、ううと云った。
「第二の解脱法は常人《じょうじん》の解脱法である。常人の解脱法は拘泥を免《まぬ》かるるのではない、拘泥せねばならぬような苦しい地位に身を置くのを避けるのである。人の視聴を惹《ひ》くの結果、われより苦痛が反射せぬようにと始めから用心するのである。したがって始めより流俗《りゅうぞく》に媚《こ》びて一世に附和《ふわ》する心底《しんてい》がなければ成功せぬ。江戸風な町人はこの解脱法を心得ている。芸妓通客《げいぎつうかく》はこの解脱法を心得ている。西洋のいわゆる紳士《ゼントルマン》はもっともよくこの解脱法を心得たものである。……」
 芸者と紳士《ゼントルマン》がいっしょになってるのは、面白いと、青年はまた焼麺麭《やきパン》の一|片《ぺん》を、横合から半円形に食い欠いた。親指についた牛酪《バタ》をそのまま袴《はかま》の膝《ひざ》へなすりつけた。
「芸妓、紳士、通人《つうじん》から耶蘇《ヤソ》孔子《こうし》釈迦《しゃか》を見れば全然たる狂人である。耶蘇、孔子、釈迦から芸妓、紳士、通人を見れば依然として拘泥《こうでい》している。拘泥のうちに拘泥を脱し得たりと得意なるものは彼らである。両者の解脱《げだつ》は根本義において一致すべからざるものである。……」
 高柳君は今まで解脱の二字においてかつて考えた事はなかった。ただ文界に立って、ある物になりたい、なりたいがなれない、なれんのではない、金がない、時がない、世間が寄ってたかって己《おの》れを苦しめる、残念だ無念だとばかり思っていた。あとを読む気になる。
「解脱は便法《べんぽう》に過ぎぬ。下《くだ》れる世に立って、わが真を貫徹し、わが善を標榜《ひょうぼう》し、わが美を提唱するの際、※[#「てへん+施のつくり」、第3水準1-84-74]泥帯水《たでいたいすい》の弊《へい》をまぬがれ、勇猛精進《ゆうもうしょうじん》の志《こころざし》を固くして、現代|下根《げこん》の衆生《しゅじょう》より受くる迫害の苦痛を委却《いきゃく》するための便法である。この便法を証得《しょうとく》し得ざる時、英霊の俊児《しゅんじ》、またついに鬼窟裏《きくつり》に堕在《だざい》して彼のいわゆる芸妓紳士通人と得失を較《こう》するの愚《ぐ》を演じて憚《はば》からず。国家のため悲しむべき事である。
「解脱は便法である。この方便門《ほうべんもん》を通じて出頭《しゅっとう》し来る行為、動作、言説の是非は解脱の関するところではない。したがって吾人は解脱を修得する前に正鵠《せいこく》にあたれる趣味を養成せねばならぬ。下劣なる趣味を拘泥なく一代に塗抹《とまつ》するは学人の恥辱である。彼らが貴重なる十年二十年を挙《あ》げて故紙堆裏《こしたいり》に兀々《こつこつ》たるは、衣食のためではない、名聞《みょうもん》のためではない、ないし爵禄財宝《しゃくろくざいほう》のためではない。微《かす》かなる墨痕《ぼっこん》のうちに、光明の一|炬《きょ》を点じ得て、点じ得たる道火《どうか》を解脱の方便門より担《にな》い出《いだ》して暗黒世界を遍照《へんじょう》せんがためである。
「このゆえに真に自家証得底《じかしょうとくてい》の見解《けんげ》あるもののために、拘泥の煩《はん》を払って、でき得る限り彼らをして第一種の解脱に近づかしむるを道徳と云う。道徳とは有道《ゆうどう》の士をして道を行わしめんがために、吾人がこれに対して与うる自由の異名《いみょう》である。この大道徳を解せざるものを俗人と云う。
「天下の多数は俗人である。わが位に着《ちゃく》するがためにこの大道徳を解し得ぬ。わが富に着するがためにこの大道徳を解し得ぬ。下《くだ》れるものは、わが酒とわが女に着するがためにこの大道徳を解し得ぬ。
「光明は趣味の先駆である。趣味は社会の油である。油なき社会は成立せぬ。汚《けが》れたる油に廻転する社会は堕落《だらく》する。かの紳士、通人、芸妓の徒《と》は、汚れたる油の上を滑《すべ》って墓に入るものである。華族と云い貴顕《きけん》と云い豪商と云うものは門閥《もんばつ》の油、権勢《けんせい》の油、黄白《こうはく》の油をもって一世を逆《さか》しまに廻転せんと欲するものである。
「真正《しんせい》の油は彼らの知るところではない。彼らは生れてより以来この油について何らの工夫《くふう》も費やしておらん。何らの工夫を費やさぬものが、この大道徳を解せぬのは許す。光明の学徒を圧迫せんとするに至っては、俗人の域を超越して罪人の群《むれ》に入る。
「三味線《しゃみせん》を習うにも五六年はかかる。巧拙《こうせつ》を聴き分くるさえ一カ月の修業では出来ぬ。趣味の修養が三味《しゃみ》の稽古《けいこ》より易《やす》いと思うのは間違っている。茶の湯を学ぶ彼らはいらざる儀式に貴重な時間を費やして、一々に師匠の云う通りになる。趣味は茶の湯より六《む》ずかしいものじゃ。茶坊主に頭を下げる謙徳《けんとく》があるならば、趣味の本家《ほんけ》たる学者の考はなおさら傾聴せねばならぬ。
「趣味は人間に大切なものである。楽器を壊《こぼ》つものは社会から音楽を奪う点において罪人である。書物を焼くものは社会から学問を奪う点において罪人である。趣味を崩《くず》すものは社会そのものを覆《くつが》えす点において刑法の罪人よりもはなはだしき罪人である。音楽はなくとも吾人は生きている、学問がなくても吾人はいきている。趣味がなくても生きておられるかも知れぬ。しかし趣味は生活の全体に渉《わた》る社会の根本要素である。これなくして生きんとするは野に入って虎と共に生きんとすると一般である。
「ここに一人《いちにん》がある。この一人が単に自己の思うようにならぬと云う源因のもとに、多勢《たぜい》が朝に晩に、この一人を突つき廻わして、幾年の後《のち》この一人の人格を堕落せしめて、下劣なる趣味に誘い去りたる時、彼らは殺人より重い罪を犯したのである。人を殺せば殺される。殺されたものは社会から消えて行く。後患《こうかん》は遺《のこ》さない。趣味の堕落したものは依然として現存する。現存する以上は堕落した趣味を伝染せねばやまぬ。彼はペストである。ペストを製造したものはもちろん罪人である。
「趣味の世界にペストを製造して罰せられんのは人殺しをして罰せられんのと同様である。位地の高いものはもっともこの罪を犯《おか》しやすい。彼らは彼らの社会的地位からして、他に働きかける便宜《べんぎ》の多い場所に立っている。他に働きかける便宜を有して、働きかける道を弁《わきま》えぬものは危険である。
「彼らは趣味において専門の学徒に及ばぬ。しかも学徒以上他に働きかけるの能力を有している。能力は権利ではない。彼らのあるものはこの区別さえ心得ておらん。彼らの趣味を教育すべくこの世に出現せる文学者を捕えてすらこれを逆《さか》しまに吾意のごとくせんとする。彼らは単に大道徳を忘れたるのみならず、大不道徳を犯して恬然《てんぜん》として社会に横行しつつあるのである。
「彼らの意のごとくなる学徒があれば、自己の天職を自覚せざる学徒である。彼らを教育する事の出来ぬ学徒があれば腰の抜けたる学徒である。学徒は光明を体せん事を要す。光明より流れ出ずる趣味を現実せん事を要す。しかしてこれを現実《げんじつ》せんがために、拘泥《こうでい》せざらん事を要す。拘泥せざらんがために解脱《げだつ》を要す」
 高柳君は雑誌を開いたまま、茫然《ぼうぜん》として眼を挙《あ》げた。正面の柱にかかっている、八角時計がぼうんと一時を打つ。柱の下の椅子《いす》にぽつ然《ねん》と腰を掛けていた小女郎《こじょろう》が時計の音と共に立ち上がった。丸テーブルの上には安い京焼《きょうやき》の花活《はないけ》に、浅ましく水仙を突きさして、葉の先が黄ばんでいるのを、いつまでもそのままに水をやらぬ気と見える。小女郎は水仙の花にちょっと手を触れて、花活《はないけ》のそばにある新聞をとり上げた。読むかと思ったら四つに畳んで傍《かたわら》に置いた。この女は用もないのに立ち上がったのである。退屈のあまり、ぼうんを聞いて器械的に立ち上がったのである。羨《うらや》ましい女だと高柳君はすぐ思う。
 菊人形の収入についての議論は片づいたと見えて、二人の学生は煙草《たばこ》をふかして往来を見ている。
「おや、富田《とみた》が通る」と一人が云う。
「どこに」と一人が聞く。富田君は三寸ばかり開いていた硝子戸《ガラスど》の間をちらと通り抜けたのである。
「あれは、よく食う奴《やつ》じゃな」
「食う、食う」と答えたところによるとよほど食うと見える。
「人間は食う割《わり》に肥《ふと》らんものだな。あいつはあんなに食う癖にいっこう肥《こ》えん」
「書物は沢山読むが、ちっとも、えろうならんのがおると同じ事じゃ」
「そうよ。御互に勉強はなるべくせん方がいいの」
「ハハハハ。そんなつもりで云ったんじゃない」
「僕はそう云うつもりにしたのさ」
「富田は肥《ふと》らんがなかなか敏捷《びんしょう》だ。やはり沢山食うだけの事はある」
「敏捷な事があるものか」
「いや、この間四丁目を通ったら、後ろから出し抜けに呼ぶものがあるから、振り反ると富田だ。頭を半分|刈《か》ったままで、大きな敷布のようなものを肩から纏《まと》うている」
「元来どうしたのか」
「床屋から飛び出して来たのだ」
「どうして」
「髪を刈っておったら、僕の影が鏡に写ったものだから、すぐ馳《か》け出したんだそうだ」
「ハハハハそいつは驚ろいた」
「おれも驚ろいた。そうして尚志会《しょうしかい》の寄附金を無理に取って、また床屋へ引き返したぜ」
「ハハハハなるほど敏捷《びんしょう》なものだ。それじゃ御互になるべく食う事にしよう。敏捷にせんと、卒業してから困るからな」
「そうよ。文学士のように二十円くらいで下宿に屏息《へいそく》していては人間と生れた甲斐《かい》はないからな」
 高柳君は勘定をして立ち上った。ありがとうと云う下女の声に、文芸倶楽部の上につっ伏していた書生が、赤い眼をとろつかせて、睨《にら》めるように高柳君を見た。牛の乳のなかの酸に中毒でもしたのだろう。

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