2008年11月10日月曜日

十一

 今日もまた風が吹く。汁気《しるけ》のあるものをことごとく乾鮭《からさけ》にするつもりで吹く。
「御兄《おあにい》さんの所から御使です」と細君が封書を出す。道也は坐ったまま、体《たい》をそらして受け取った。
「待ってるかい」
「ええ」
 道也は封を切って手紙を読み下す。やがて、終りから巻き返して、再び状袋のなかへ収めた。何にも云わない。
「何か急用ででもござんすか」
 道也は「うん」と云いながら、墨を磨《す》って、何かさらさらと返事を認《したた》めている。
「何の御用ですか」
「ええ? ちょっと待った。書いてしまうから」
 返事はわずか五六行である。宛名《あてな》をかいて、「これを」と出す。細君は下女を呼んで渡してやる。自分は動かない。
「何の御用なんですか」
「何の用かわからない。ただ、用があるから、すぐ来てくれとかいてある」
「いらっしゃるでしょう」
「おれは行かれない。なんならお前行って見てくれ」
「私が? 私は駄目ですわ」
「なぜ」
「だって女ですもの」
「女でも行かないよりいいだろう」
「だって。あなたに来いと書いてあるんでしょう」
「おれは行かれないもの」
「どうして?」
「これから出掛けなくっちゃならん」
「雑誌の方なら、一日ぐらい御休みになってもいいでしょう」
「編輯《へんしゅう》ならいいが、今日は演説をやらなくっちゃならん」
「演説を? あなたがですか?」
「そうよ、おれがやるのさ。そんなに驚ろく事はなかろう」
「こんなに風が吹くのに、よしになさればいいのに」
「ハハハハ風が吹いてやめるような演説なら始めからやりゃしない」
「ですけれども滅多《めった》な事はなさらない方がよござんすよ」
「滅多な事とは。何がさ」
「いいえね。あんまり演説なんかなさらない方が、あなたの得《とく》だと云うんです」
「なに得な事があるものか」
「あとが困るかも知れないと申すのです」
「妙な事を云うね御前は。――演説をしちゃいけないと誰か云ったのかね」
「誰がそんな事を云うものですか。――云いやしませんが、御兄《おあにい》さんからこうやって、急用だって、御使が来ているんですから行って上げなくっては義理がわるいじゃありませんか」
「それじゃ演説をやめなくっちゃならない」
「急に差支《さしつかえ》が出来たって断わったらいいでしょう」
「今さらそんな不義理が出来るものか」
「では御兄さんの方へは不義理をなすっても、いいとおっしゃるんですか」
「いいとは云わない。しかし演説会の方は前からの約束で――それに今日の演説はただの演説ではない。人を救うための演説だよ」
「人を救うって、誰を救うのです」
「社のもので、この間の電車事件を煽動《せんどう》したと云う嫌疑《けんぎ》で引っ張られたものがある。――ところがその家族が非常な惨状に陥《おちい》って見るに忍びないから、演説会をしてその収入をそちらへ廻してやる計画なんだよ」
「そんな人の家族を救うのは結構な事に相違ないでしょうが、社会主義だなんて間違えられるとあとが困りますから……」
「間違えたって構わないさ。国家主義も社会主義もあるものか、ただ正しい道がいいのさ」
「だって、もしあなたが、その人のようになったとして御覧なさい。私はやっぱり、その人の奥さん同様な、ひどい目に逢わなけりゃならないでしょう。人を御救いなさるのも結構ですが、ちっとは私の事も考えて、やって下さらなくっちゃ、あんまりですわ」
 道也先生はしばらく沈吟《ちんぎん》していたが、やがて、机の前を立ちながら「そんな事はないよ。そんな馬鹿な事はないよ。徳川政府の時代じゃあるまいし」と云った。
 例の袴《はかま》を突っかけると支度《したく》は一分たたぬうちに出来上った。玄関へ出る。外はいまだに強く吹いている。道也先生の姿は風の中に消えた。
 清輝館《せいきかん》の演説会はこの風の中に開かれる。
 講演者は四名、聴衆は三百名足らずである。書生が多い。その中に文学士高柳周作がいる。彼はこの風の中を襟巻《えりまき》に顔を包んで咳《せき》をしながらやって来た。十銭の入場料を払って、二階に上《あが》った時は、広い会場はまばらに席をあましてむしろ寂寞《せきばく》の感があった。彼は南側のなるべく暖かそうな所に席をとった。演説はすでに始まっている。
「……文士保護は独立しがたき文士の言う事である。保護とは貴族的時代に云うべき言葉で、個人平等の世にこれを云々《うんぬん》するのは恥辱の極《きょく》である。退いて保護を受くるより進んで自己に適当なる租税を天下から払わしむべきである」と云ったと思ったら、引き込んだ。聴衆は喝采《かっさい》する。隣りに薩摩絣《さつまがすり》の羽織を着た書生がいて話している。
「今のが、黒田東陽《くろだとうよう》か」
「うん」
「妙な顔だな。もっと話せる顔かと思った」
「保護を受けたら、もう少し顔らしくなるだろう」
 高柳君は二人を見た。二人も高柳君を見た。
「おい」
「何だ」
「いやに睨《にら》めるじゃねえか」
「おっかねえ」
「こんだ誰の番だ。――見ろ見ろ出て来た」
「いやに、ひょろ長いな。この風にどうして出て来たろう」
 ひょろながい道也先生は綿服《めんぷく》のまま壇上にあらわれた。かれはこの風の中を金釘《かなくぎ》のごとく直立して来たのである。から風に吹き曝《さら》されたる彼は、からからの古瓢箪《ふるびょうたん》のごとくに見える。聴衆は一度に手をたたく。手をたたくのは必ずしも喝采の意と解すべからざる場合がある。独《ひと》り高柳君のみは粛然《しゅくぜん》として襟《えり》を正した。
「自己は過去と未来の連鎖《れんさ》である」
 道也先生の冒頭は突如として来た。聴衆はちょっと不意撃《ふいうち》を食った。こんな演説の始め方はない。
「過去を未来に送り込むものを旧派と云い、未来を過去より救うものを新派と云うのであります」
 聴衆はいよいよ惑《まど》った。三百の聴衆のうちには、道也先生をひやかす目的をもって入場しているものがある。彼らに一|寸《すん》の隙《すき》でも与えれば道也先生は壇上に嘲殺《ちょうさつ》されねばならぬ。角力《すもう》は呼吸《こきゅう》である。呼吸を計らんでひやかせばかえって自分が放《ほう》り出されるばかりである。彼らは蛇のごとく鎌首《かまくび》を持ち上げて待構えている。道也先生の眼中には道の一字がある。
「自己のうちに過去なしと云うものは、われに父母《ふぼ》なしと云うがごとく、自己のうちに未来なしと云うものは、われに子を生む能力なしというと一般である。わが立脚地はここにおいて明瞭《めいりょう》である。われは父母《ふぼ》のために存在するか、われは子のために存在するか、あるいはわれそのものを樹立せんがために存在するか、吾人《ごじん》生存の意義はこの三者の一を離るる事が出来んのである」
 聴衆は依然として、だまっている。あるいは煙《けむ》に捲《ま》かれたのかも知れない。高柳君はなるほどと聴いている。
「文芸復興は大《だい》なる意味において父母のために存在したる大時期である。十八世紀末のゴシック復活もまた大なる意味において父母のために存在したる小時期である。同時にスコット一派の浪漫派《ろうまんは》を生まんがために存在した時期である。すなわち子孫のために存在したる時期である。自己を樹立せんがために存在したる時期の好例はエリザベス朝の文学である。個人について云えばイブセンである。メレジスである。ニイチェである。ブラウニングである。耶蘇教徒《ヤソきょうと》は基督《キリスト》のために存在している。基督は古《いにし》えの人である。だから耶蘇教徒は父のために存在している。儒者《じゅしゃ》は孔子《こうし》のために生きている。孔子も昔《いにし》えの人である。だから儒者は父のために生きている。……」
「もうわかった」と叫ぶものがある。
「なかなかわかりません」と道也先生が云う。聴衆はどっと笑った。
「袷《あわせ》は単衣《ひとえもの》のために存在するですか、綿入のために存在するですか。または袷自身のために存在するですか」と云って、一応聴衆を見廻した。笑うにはあまり、奇警である。慎《つつ》しむにはあまり飄《ひょう》きんである。聴衆は迷うた。
「六《む》ずかしい問題じゃ、わたしにもわからん」と済ました顔で云ってしまう。聴衆はまた笑った。
「それはわからんでも差支《さしつかえ》ない。しかし吾々《われわれ》は何のために存在しているか? これは知らなくてはならん。明治は四十年立った。四十年は短かくはない。明治の事業はこれで一段落を告げた……」
「ノー、ノー」と云うものがある。
「どこかでノー、ノーと云う声がする。わたしはその人に賛成である。そう云う人があるだろうと思うて待っていたのである」
 聴衆はまた笑った。
「いや本当に待っていたのである」
 聴衆は三たび鬨《とき》を揚《あ》げた。
「私《わたし》は四十年の歳月を短かくはないと申した。なるほど住んで見れば長い。しかし明治以外の人から見たらやはり長いだろうか。望遠鏡の眼鏡《めがね》は一寸の直径である。しかし愛宕山《あたごやま》から見ると品川の沖がこの一寸のなかに這入《はい》ってしまう。明治の四十年を長いと云うものは明治のなかに齷齪《あくせく》しているものの云う事である。後世から見ればずっと縮まってしまう。ずっと遠くから見ると一弾指《いちだんし》の間《かん》に過ぎん。――一弾指の間に何が出来る」と道也はテーブルの上をとんと敲《たた》いた。聴衆はちょっと驚ろいた。
「政治家は一大事業をしたつもりでいる。学者も一大事業をしたつもりでいる。実業家も軍人もみんな一大事業をしたつもりでいる。したつもりでいるがそれは自分のつもりである。明治四十年の天地に首を突き込んでいるから、したつもりになるのである。――一弾指の間に何が出来る」
 今度は誰も笑わなかった。
「世の中の人は云うている。明治も四十年になる、まだ沙翁《さおう》が出ない、まだゲーテが出ない。四十年を長いと思えばこそ、そんな愚痴《ぐち》が出る。一弾指の間に何が出る」
「もうでるぞ」と叫んだものがある。
「もうでるかも知れん。しかし今までに出ておらん事は確かである。――一言にして云えば」と句を切った。満場はしんとしている。
「明治四十年の日月《じつげつ》は、明治開化の初期である。さらに語《ご》を換《か》えてこれを説明すれば今日の吾人《ごじん》は過去を有《も》たぬ開化のうちに生息している。したがって吾人は過去を伝うべきために生れたのではない。――時は昼夜《ちゅうや》を舎《す》てず流れる。過去のない時代はない。――諸君誤解してはなりません。吾人は無論過去を有している。しかしその過去は老耄《ろうもう》した過去か、幼稚な過去である。則《のっ》とるに足るべき過去は何にもない。明治の四十年は先例のない四十年である」
 聴衆のうちにそうかなあと云う顔をしている者がある。
「先例のない社会に生れたものほど自由なものはない。余は諸君がこの先例のない社会に生れたのを深く賀するものである」
「ひや、ひや」と云う声が所々《しょしょ》に起る。
「そう早合点《はやがてん》に賛成されては困る。先例のない社会に生れたものは、自から先例を作らねばならぬ。束縛のない自由を享《う》けるものは、すでに自由のために束縛されている。この自由をいかに使いこなすかは諸君の権利であると同時に大《だい》なる責任である。諸君。偉大なる理想を有せざる人の自由は堕落であります」
 言い切った道也先生は、両手を机の上に置いて満場を見廻した。雷《らい》が落ちたような気合《けあい》である。
「個人について論じてもわかる。過去を顧《かえり》みる人は半白《はんぱく》の老人である。少壮の人に顧みるべき過去はないはずである。前途に大《だい》なる希望を抱くものは過去を顧みて恋々《れんれん》たる必要がないのである。――吾人《ごじん》が今日生きている時代は少壮の時代である。過去を顧みるほどに老い込んだ時代ではない。政治に伊藤侯や山県侯を顧みる時代ではない。実業に渋沢|男《だん》や岩崎男を顧みる時代ではない。……」
「大気※[#「(諂-言)+炎」、第3水準1-87-64]《だいきえん》」と評したのは高柳君の隣りにいた薩摩絣《さつまがすり》である。高柳君はむっとした。
「文学に紅葉氏一葉氏を顧みる時代ではない。これらの人々は諸君の先例になるがために生きたのではない。諸君を生むために生きたのである。最前《さいぜん》の言葉を用いればこれらの人々は未来のために生きたのである。子のために存在したのである。しかして諸君は自己のために存在するのである。――およそ一時代にあって初期の人は子のために生きる覚悟をせねばならぬ。中期の人は自己のために生きる決心が出来ねばならぬ。後期の人は父のために生きるあきらめをつけなければならぬ。明治は四十年立った。まず初期と見て差支《さしつかえ》なかろう。すると現代の青年たる諸君は大《おおい》に自己を発展して中期をかたちづくらねばならぬ。後《うし》ろを顧みる必要なく、前を気遣《きづか》う必要もなく、ただ自我を思《おもい》のままに発展し得る地位に立つ諸君は、人生の最大愉快を極《きわ》むるものである」
 満場は何となくどよめき渡った。
「なぜ初期のものが先例にならん? 初期はもっとも不秩序の時代である。偶然の跋扈《ばっこ》する時代である。僥倖《ぎょうこう》の勢《いきおい》を得る時代である。初期の時代において名を揚《あ》げたるもの、家を起したるもの、財を積みたるもの、事業をなしたるものは必ずしも自己の力量に由《よ》って成功したとは云われぬ。自己の力量によらずして成功するは士のもっとも恥辱とするところである。中期のものはこの点において遥《はる》かに初期の人々よりも幸福である。事を成すのが困難であるから幸福である。困難にもかかわらず僥倖が少ないから幸福である。困難にもかかわらず力量しだいで思うところへ行けるほどの余裕があり、発展の道があるから幸福である。後期に至るとかたまってしまう。ただ前代を祖述《そじゅつ》するよりほかに身動きがとれぬ。身動きがとれなくなって、人間が腐った時、また波瀾《はらん》が起る。起らねば化石するよりほかにしようがない。化石するのがいやだから、自《みず》から波瀾を起すのである。これを革命と云うのである。
「以上は明治の天下にあって諸君の地位を説明したのである。かかる愉快な地位に立つ諸君はこの愉快に相当する理想を養わねばならん」
 道也先生はここにおいて一転語《いってんご》を下した。聴衆は別にひやかす気もなくなったと見える。黙っている。
「理想は魂である。魂は形がないからわからない。ただ人の魂の、行為に発現するところを見て髣髴《ほうふつ》するに過ぎん。惜しいかな現代の青年はこれを髣髴することが出来ん。これを過去に求めてもない、これを現代に求めてはなおさらない。諸君は家庭に在《あ》って父母を理想とする事が出来ますか」
 あるものは不平な顔をした。しかしだまっている。
「学校に在って教師を理想とする事が出来ますか」
「ノー、ノー」
「社会に在って紳士を理想とする事が出来ますか」
「ノー、ノー」
「事実上諸君は理想をもっておらん。家に在っては父母を軽蔑《けいべつ》し、学校に在っては教師を軽蔑し、社会に出でては紳士を軽蔑している。これらを軽蔑し得るのは見識である。しかしこれらを軽蔑し得るためには自己により大《だい》なる理想がなくてはならん。自己に何らの理想なくして他を軽蔑するのは堕落である。現代の青年は滔々《とうとう》として日に堕落しつつある」
 聴衆は少しく色めいた。「失敬な」とつぶやくものがある。道也先生は昂然《こうぜん》として壇下を睥睨《へいげい》している。
「英国風を鼓吹《こすい》して憚《はば》からぬものがある。気の毒な事である。己《おの》れに理想のないのを明かに暴露《ばくろ》している。日本の青年は滔々として堕落するにもかかわらず、いまだここまでは堕落せんと思う。すべての理想は自己の魂である。うちより出《いで》ねばならぬ。奴隷の頭脳に雄大な理想の宿りようがない。西洋の理想に圧倒せられて眼がくらむ日本人はある程度において皆奴隷である。奴隷をもって甘んずるのみならず、争って奴隷たらんとするものに何らの理想が脳裏《のうり》に醗酵《はっこう》し得る道理があろう。
「諸君。理想は諸君の内部から湧《わ》き出なければならぬ。諸君の学問見識が諸君の血となり肉となりついに諸君の魂となった時に諸君の理想は出来上るのである。付焼刃《つけやきば》は何にもならない」
 道也先生はひやかされるなら、ひやかして見ろと云わぬばかりに片手の拳骨《げんこつ》をテーブルの上に乗せて、立っている。汚ない黒木綿《くろもめん》の羽織に、べんべらの袴《はかま》は最前《さいぜん》ほどに目立たぬ。風の音がごうと鳴る。
「理想のあるものは歩くべき道を知っている。大なる理想のあるものは大なる道をあるく。迷子《まいご》とは違う。どうあってもこの道をあるかねばやまぬ。迷いたくても迷えんのである。魂がこちらこちらと教えるからである。
「諸君のうちには、どこまで歩くつもりだと聞くものがあるかも知れぬ。知れた事である。行ける所まで行くのが人生である。誰しも自分の寿命を知ってるものはない。自分に知れない寿命は他人にはなおさらわからない。医者を家業にする専門家でも人間の寿命を勘定する訳には行かぬ。自分が何歳まで生きるかは、生きたあとで始めて言うべき事である。八十歳まで生きたと云う事は八十歳まで生きた事実が証拠立ててくれねばならん。たとい八十歳まで生きる自信があって、その自信通りになる事が明瞭《めいりょう》であるにしても、現に生きたと云う事実がない以上は誰も信ずるものはない。したがって言うべきものでない。理想の黙示《もくじ》を受けて行くべき道を行くのもその通りである。自己がどれほどに自己の理想を現実にし得るかは自己自身にさえ計られん。過去がこうであるから、未来もこうであろうぞと臆測《おくそく》するのは、今まで生きていたから、これからも生きるだろうと速断するようなものである。一種の山である。成功を目的にして人生の街頭に立つものはすべて山師《やまし》である」
 高柳君の隣りにいた薩摩絣《さつまがすり》は妙な顔をした。
「社会は修羅場《しゅらじょう》である。文明の社会は血を見ぬ修羅場である。四十年|前《ぜん》の志士は生死の間《あいだ》に出入《しゅつにゅう》して維新の大業を成就した。諸君の冒《おか》すべき危険は彼らの危険より恐ろしいかも知れぬ。血を見ぬ修羅場は砲声剣光の修羅場よりも、より深刻に、より悲惨である。諸君は覚悟をせねばならぬ。勤王の志士以上の覚悟をせねばならぬ。斃《たお》るる覚悟をせねばならぬ。太平の天地だと安心して、拱手《きょうしゅ》して成功を冀《こいねが》う輩《はい》は、行くべき道に躓《つまず》いて非業《ひごう》に死したる失敗の児《じ》よりも、人間の価値は遥《はる》かに乏しいのである。
「諸君は道を行かんがために、道を遮《さえ》ぎるものを追わねばならん。彼らと戦うときに始めて、わが生涯《しょうがい》の内生命《ないせいめい》に、勤王の諸士があえてしたる以上の煩悶《はんもん》と辛惨《しんさん》とを見出し得るのである。――今日は風が吹く。昨日《きのう》も風が吹いた。この頃の天候は不穏である。しかし胸裏《きょうり》の不穏はこんなものではない」
 道也先生は、がたつく硝子窓《ガラスまど》を通して、往来の方を見た。折から一陣の風が、会釈《えしゃく》なく往来の砂を捲《ま》き上げて、屋《や》の棟《むね》に突き当って、虚空《こくう》を高く逃《のが》れて行った。
「諸君。諸君のどれほどに剛健なるかは、わたしには分らん。諸君自身にも知れぬ。ただ天下後世が証拠だてるのみである。理想の大道《たいどう》を行き尽して、途上に斃るる刹那《せつな》に、わが過去を一瞥《いちべつ》のうちに縮め得て始めて合点《がてん》が行《ゆ》くのである。諸君は諸君の事業そのものに由《よ》って伝えられねばならぬ。単に諸君の名に由って伝えられんとするは軽薄である」
 高柳君は何となくきまりがわるかった。道也の輝やく眼が自分の方に注《そそ》いでいるように思《おもわ》れる。
「理想は人によって違う。吾々は学問をする。学問をするものの理想は何であろう」
 聴衆は黙然《もくねん》として応ずるものがない。
「学問をするものの理想は何であろうとも――金でない事だけはたしかである」
 五六ヵ所に笑声が起る。道也先生の裕福《ゆうふく》ならぬ事はその服装を見たものの心から取り除《の》けられぬ事実である。道也先生は羽織のゆきを左右の手に引っ張りながら、まず徐《おもむ》ろにわが右の袖《そで》を見た。次に眼を転じてまた徐ろにわが左の袖を見た。黒木綿《くろもめん》の織目のなかに砂がいっぱいたまっている。
「随分きたない」と落ちつき払って云った。
 笑声《しょうせい》が満場に起る。これはひやかしの笑声ではない。道也先生はひやかしの笑声を好意の笑声で揉《も》み潰《つぶ》したのである。
「せんだって学問を専門にする人が来て、私《わたし》も妻《さい》をもろうて子が出来た。これから金を溜《た》めねばならぬ。是非共子供に立派な教育をさせるだけは今のうちに貯蓄して置かねばならん。しかしどうしたら貯蓄が出来るでしょうかと聞いた。
「どうしたら学問で金がとれるだろうと云う質問ほど馬鹿気た事はない。学問は学者になるものである。金になるものではない。学問をして金をとる工夫《くふう》を考えるのは北極へ行って虎狩をするようなものである」
 満場はまたちょっとどよめいた。
「一般の世人は労力と金の関係について大《だい》なる誤謬《ごびゅう》を有している。彼らは相応の学問をすれば相応の金がとれる見込のあるものだと思う。そんな条理は成立する訳がない。学問は金に遠ざかる器械である。金がほしければ金を目的にする実業家とか商買人になるがいい。学者と町人とはまるで別途の人間であって、学者が金を予期して学問をするのは、町人が学問を目的にして丁稚《でっち》に住み込むようなものである」
「そうかなあ」と突飛《とっぴ》な声を出す奴《やつ》がいる。聴衆はどっと笑った。道也先生は平然として笑《わらい》のしずまるのを待っている。
「だから学問のことは学者に聞かなければならん。金が欲しければ町人の所へ持って行くよりほかに致し方はない」
「金が欲しい」とまぜかえす奴が出る。誰だかわからない。道也先生は「欲しいでしょう」と云ったぎり進行する。
「学問すなわち物の理がわかると云う事と生活の自由すなわち金があると云う事とは独立して関係のないのみならず、かえって反対のものである。学者であればこそ金がないのである。金を取るから学者にはなれないのである。学者は金がない代りに物の理がわかるので、町人は理窟《りくつ》がわからないから、その代りに金を儲《もう》ける」
 何か云うだろうと思って道也先生は二十秒ほど絶句して待っている。誰も何も云わない。
「それを心得んで金のある所には理窟もあると考えているのは愚《ぐ》の極《きょく》である。しかも世間一般はそう誤認している。あの人は金持ちで世間が尊敬しているからして理窟もわかっているに違ない、カルチュアーもあるにきまっていると――こう考える。ところがその実はカルチュアーを受ける暇がなければこそ金をもうける時間が出来たのである。自然は公平なもので一人の男に金ももうけさせる、同時にカルチュアーも授けると云うほど贔屓《ひいき》にはせんのである。この見やすき道理も弁《べん》ぜずして、かの金持ち共は己惚《うぬぼ》れて……」
「ひや、ひや」「焼くな」「しっ、しっ」だいぶ賑《にぎ》やかになる。
「自分達は社会の上流に位して一般から尊敬されているからして、世の中に自分ほど理窟《りくつ》に通じたものはない。学者だろうが、何だろうがおれに頭をさげねばならんと思うのは憫然《びんぜん》のしだいで、彼らがこんな考を起す事自身がカルチュアーのないと云う事実を証明している」
 高柳君の眼は輝やいた。血が双頬《そうきょう》に上《のぼ》ってくる。
「訳《わけ》のわからぬ彼らが己惚《うぬぼれ》はとうてい済度《さいど》すべからざる事とするも、天下社会から、彼らの己惚をもっともだと是認するに至っては愛想《あいそ》の尽きた不見識と云わねばならぬ。よく云う事だが、あの男もあのくらいな社会上の地位にあって相応の財産も所有している事だから万更そんな訳のわからない事もなかろう。豈計《あにはか》らんやある場合には、そんな社会上の地位を得て相当の財産を有しておればこそ訳がわからないのである」
 高柳君は胸の苦しみを忘れて、ひやひやと手を打った。隣の薩摩絣《さつまがすり》はえへんと嘲弄的《ちょうろうてき》な咳払《せきばらい》をする。
「社会上の地位は何できまると云えば――いろいろある。第一カルチュアーできまる場合もある。第二|門閥《もんばつ》できまる場合もある。第三には芸能できまる場合もある。最後に金できまる場合もある。しかしてこれはもっとも多い。かようにいろいろの標準があるのを混同して、金で相場がきまった男を学問で相場がきまった男と相互に通用し得るように考えている。ほとんど盲目《めくら》同然である」
 エヘン、エヘンと云う声が散らばって五六ヵ所に起る。高柳君は口を結んで、鼻から呼吸《いき》をはずませている。
「金で相場のきまった男は金以外に融通は利《き》かぬはずである。金はある意味において貴重かも知れぬ。彼らはこの貴重なものを擁《よう》しているから世の尊敬を受ける。よろしい。そこまでは誰も異存はない。しかし金以外の領分において彼らは幅《はば》を利かし得る人間ではない、金以外の標準をもって社会上の地位を得る人の仲間入は出来ない。もしそれが出来ると云えば学者も金持ちの領分へ乗り込んで金銭本位の区域内で威張っても好《い》い訳になる。彼らはそうはさせぬ。しかし自分だけは自分の領分内におとなしくしている事を忘れて他の領分までのさばり出ようとする。それが物のわからない、好い証拠である」
 高柳君は腰を半分浮かして拍手をした。人間は真似《まね》が好《すき》である。高柳君に誘い出されて、ぱちぱちの声が四方に起る。冷笑党は勢《いきおい》の不可なるを知って黙した。
「金は労力の報酬である。だから労力を余計にすれば金は余計にとれる。ここまでは世間も公平である。(否《いな》これすらも不公平な事がある。相場師などは労力なしに金を攫《つか》んでいる)しかし一歩進めて考えて見るが好《い》い。高等な労力に高等な報酬が伴うであろうか――諸君どう思います――返事がなければ説明しなければならん。報酬なるものは眼前の利害にもっとも影響の多い事情だけできめられるのである。だから今の世でも教師の報酬は小商人《こあきんど》の報酬よりも少ないのである。眼前以上の遠い所高い所に労力を費やすものは、いかに将来のためになろうとも、国家のためになろうとも、人類のためになろうとも報酬はいよいよ減ずるのである。だによって労力の高下《こうげ》では報酬の多寡《たか》はきまらない。金銭の分配は支配されておらん。したがって金のあるものが高尚な労力をしたとは限らない。換言すれば金があるから人間が高尚だとは云えない。金を目安《めやす》にして人物の価値をきめる訳には行かない」
 滔々《とうとう》として述べて来た道也はちょっとここで切って、満場の形勢を観望した。活版に押した演説は生命がない。道也は相手しだいで、どうとも変わるつもりである。満場は思ったより静かである。
「それを金があるからと云うてむやみにえらがるのは間違っている。学者と喧嘩《けんか》する資格があると思ってるのも間違っている。気品のある人々に頭を下げさせるつもりでいるのも間違っている。――少しは考えても見るがいい。いくら金があっても病気の時は医者に降参しなければなるまい。金貨を煎《せん》じて飲む訳には行かない……」
 あまり熱心な滑稽《こっけい》なので、思わず噴き出したものが三四人ある。道也先生は気がついた。
「そうでしょう――金貨を煎《せん》じたって下痢《げり》はとまらないでしょう。――だから御医者に頭を下げる。その代り御医者は――金に頭を下げる」
 道也先生はにやにやと笑った。聴衆もおとなしく笑う。
「それで好《い》いのです。金に頭を下げて結構です――しかし金持はいけない。医者に頭を下げる事を知ってながら、趣味とか、嗜好《しこう》とか、気品とか人品とか云う事に関して、学問のある、高尚な理窟《りくつ》のわかった人に頭を下げることを知らん。のみならずかえって金の力で、それらの頭をさげさせようとする。――盲目《めくら》蛇《へび》に怖《お》じずとはよく云ったものですねえ」
と急に会話調になったのは曲折があった。
「学問のある人、訳のわかった人は金持が金の力で世間に利益を与うると同様の意味において、学問をもって、わけの分ったところをもって社会に幸福を与えるのである。だからして立場こそ違え、彼らはとうてい冒《おか》し得べからざる地位に確たる尻《しり》を据《す》えているのである。
「学者がもし金銭問題にかかれば、自己の本領を棄《す》てて他の縄張内《なわばりうち》に這入《はい》るのだから、金持ちに頭を下げるが順当であろう。同時に金以上の趣味とか文学とか人生とか社会とか云う問題に関しては金持ちの方が学者に恐れ入って来なければならん。今、学者と金持の間に葛藤《かっとう》が起るとする。単に金銭問題ならば学者は初手《しょて》から無能力である。しかしそれが人生問題であり、道徳問題であり、社会問題である以上は彼ら金持は最初から口を開く権能《けんのう》のないものと覚悟をして絶対的に学者の前に服従しなければならん。岩崎は別荘を立て連《つ》らねる事において天下の学者を圧倒しているかも知れんが、社会、人生の問題に関しては小児と一般である。十万坪の別荘を市の東西南北に建てたから天下の学者を凹《へこ》ましたと思うのは凌雲閣《りょううんかく》を作ったから仙人《せんにん》が恐れ入ったろうと考えるようなものだ……」
 聴衆は道也の勢《いきおい》と最後の一句の奇警なのに気を奪われて黙っている。独《ひと》り高柳君がたまらなかったと見えて大きな声を出して喝采《かっさい》した。
「商人が金を儲《もう》けるために金を使うのは専門上の事で誰も容喙《ようかい》が出来ぬ。しかし商買上に使わないで人事上にその力を利用するときは、訳のわかった人に聞かねばならぬ。そうしなければ社会の悪を自《みずか》ら醸造《じょうぞう》して平気でいる事がある。今の金持の金のある一部分は常にこの目的に向って使用されている。それと云うのも彼ら自身が金の主《しゅ》であるだけで、他の徳、芸の主でないからである。学者を尊敬する事を知らんからである。いくら教えても人の云う事が理解出来んからである。災《わざわい》は必ず己《おの》れに帰る。彼らは是非共《ぜひとも》学者文学者の云う事に耳を傾けねばならぬ時期がくる。耳を傾けねば社会上の地位が保《たも》てぬ時期がくる」
 聴衆は一度にどっと鬨《とき》を揚《あ》げた。高柳君は肺病にもかかわらずもっとも大《おおい》なる鬨を揚げた。生れてから始めてこんな痛快な感じを得た。襟巻《えりまき》に半分顔を包んでから風のなかをここまで来た甲斐《かい》はあると思う。
 道也先生は予言者のごとく凛《りん》として壇上に立っている。吹きまくる木枯《こがらし》は屋《おく》を撼《うご》かして去る。

0 件のコメント: