2008年11月10日月曜日

 小春の日に温《ぬく》め返された別荘の小天地を開いて結婚の披露《ひろう》をする。
 愛は偏狭《へんきょう》を嫌《きら》う、また専有をにくむ。愛したる二人の間に有り余る情《じょう》を挙《あ》げて、博《ひろ》く衆生《しゅじょう》を潤《うる》おす。有りあまる財を抛《なげう》って多くの賓格《ひんかく》を会《かい》す。来らざるものは和楽《わらく》の扇に麾《さしまね》く風を厭《いと》うて、寒き雪空に赴《おもむ》く鳧雁《ふがん》の類《るい》である。
 円満なる愛は触るるところのすべてを円満にす。二人の愛は曇り勝ちなる時雨《しぐれ》の空さえも円満にした。――太陽の真上に照る日である。照る事は誰でも知るが、だれも手を翳《かざ》して仰ぎ見る事のならぬくらい明《あきら》かに照る日である。得意なるものに明かなる日の嫌なものはない。客は車を駆って東西南北より来る。
 杉の葉の青きを択《えら》んで、丸柱の太きを装《よそお》い、頭《かしら》の上一丈にて二本を左右より平《たいら》に曲げて続《つ》ぎ合せたるをアーチと云う。杉の葉の青きはあまりに厳《おごそか》に過ぐ。愛の郷に入るものは、ただおごそかなる門を潜《くぐ》るべからず。青きものは暖かき色に和《やわら》げられねばならぬ。
 裂けば煙《けぶ》る蜜柑《みかん》の味はしらず、色こそ暖かい。小春《こはる》の色は黄である。点々と珠《たま》を綴《つづ》る杉の葉影に、ゆたかなる南海の風は通う。紫に明け渡る夜を待ちかねて、ぬっと出る旭日《あさひ》が、岡《おか》より岡を射《い》て、万顆《ばんか》の黄玉《こうぎょく》は一時に耀《かがや》く紀の国から、偸《ぬす》み来た香《かお》りと思われる。この下を通るものは酔わねば出る事を許されぬ掟《おきて》である。
 緑門《アーチ》の下には新しき夫婦が立っている。すべての夫婦は新らしくなければならぬ。新しき夫婦は美しくなければならぬ。新しく美しき夫婦は幸福でなければならぬ。彼らはこの緑門の下に立って、迎えたる賓客にわが幸福の一分《いちぶ》を与え、送り出す朋友《ほうゆう》にわが幸福の一分を与えて、残る幸福に共白髪《ともしらが》の長き末までを耽《ふけ》るべく、新らしいのである、また美くしいのである。
 男は黒き上着に縞《しま》の洋袴《ズボン》を穿《は》く。折々は雪を欺《あざむ》く白き手拭《ハンケチ》が黒き胸のあたりに漂《ただよ》う。女は紋つきである。裾《すそ》を色どる模様の華《はな》やかなるなかから浮き上がるがごとく調子よくすらりと腰から上が抜け出でている。ヴィーナスは浪《なみ》のなかから生れた。この女は裾模様のなかから生れている。
 日は明かに女の頸筋《くびすじ》に落ちて、角《かど》だたぬ咽喉《のど》の方はほの白き影となる。横から見るときその影が消えるがごとく薄くなって、判然《はっき》としたやさしき輪廓《りんかく》に終る。その上に紫《むらさき》のうずまくは一朶《いちだ》の暗き髪を束《つか》ねながらも額際《ひたいぎわ》に浮かせたのである。金台に深紅《しんく》の七宝《しっぽう》を鏤《ちりば》めたヌーボー式の簪《かんざし》が紫の影から顔だけ出している。
 愛は堅きものを忌《い》む。すべての硬性を溶化《ようか》せねばやまぬ。女の眼に耀《かがや》く光りは、光りそれ自《みず》からの溶《と》けた姿である。不可思議なる神境から双眸《そうぼう》の底に漂《ただよ》うて、視界に入る万有を恍惚《こうこつ》の境に逍遥《しょうよう》せしむる。迎えられたる賓客は陶然《とうぜん》として園内に入る。
「高柳さんはいらっしゃるでしょうか」と女が小さな声で聞く。
「え?」と男は耳を持ってくる。園内では楽隊が越後獅子《えちごじし》を奏している。客は半分以上集まった。夫婦はなかへ這入《はい》って接待をせねばならん。
「そうさね。忘れていた」と男が云う。
「もうだいぶ御客さまがいらしったから、向《むこう》へ行かないじゃわるいでしょう」
「そうさね。もう行く方がいいだろう。しかし高柳がくると可哀想《かわいそう》だからね」
「ここにいらっしゃらないとですか」
「うん。あの男は、わたしが、ここに見えないと門まで来て引き返すよ」
「なぜ?」
「なぜって、こんな所へ来た事はないんだから――一人で一人坊《ひとりぼ》っちになる男なんだから――、ともかくもアーチを潜《くぐ》らせてしまわないと安心が出来ない」
「いらっしゃるんでしょうね」
「来るよ、わざわざ行って頼んだんだから、いやでも来ると約束すると来ずにいられない男だからきっとくるよ」
「御厭《おいや》なんですか」
「厭って、なに別に厭な事もないんだが、つまりきまりがわるいのさ」
「ホホホホ妙ですわね」
 きまりのわるいのは自信がないからである。自信がないのは、人が馬鹿にすると思うからである。中野君はただきまりが悪いからだと云う。細君はただ妙ですわねと思う。この夫婦は自分達のきまりを悪《わ》るがる事は忘れている。この夫婦の境界《きょうがい》にある人は、いくらきまりを悪るがる性分《しょうぶん》でも、きまりをわるがらずに生涯《しょうがい》を済ませる事が出来る。
「いらっしゃるなら、ここにいて上げる方がいいでしょう」
「来る事は受け合うよ。――いいさ、奥はおやじや何かだいぶいるから」
 愛は善人である。善人はその友のために自家の不都合を犠牲にするを憚《はば》からぬ。夫婦は高柳君のためにアーチの下に待っている。高柳君は来ねばならぬ。
 馬車の客、車の客の間に、ただ一人高柳君は蹌踉《そうろう》として敵地に乗り込んで来る。この海のごとく和気の漲《みなぎ》りたる園遊会――新夫婦の面《おもて》に湛《たた》えたる笑の波に酔うて、われ知らず幸福の同化を享《う》くる園遊会――行く年をしばらくは春に戻して、のどかなる日影に、窮陰《きゅういん》の面《ま》のあたりなるを忘るべき園遊会は高柳君にとって敵地である。
 富と勢《いきおい》と得意と満足の跋扈《ばっこ》する所は東西|球《きゅう》を極《きわ》めて高柳君には敵地である。高柳君はアーチの下に立つ新しき夫婦を十歩の遠きに見て、これがわが友であるとはたしかに思わなかった。多少の不都合を犠牲にしてまで、高柳君を待ち受けたる夫婦の眼に高柳君の姿がちらと映じた時、待ち受けたにもかかわらず、待ち受け甲斐《がい》のある御客とは夫婦共に思わなかった。友誼《ゆうぎ》の三|分《ぶ》一は服装が引き受ける者である。頭のなかで考えた友達と眼の前へ出て来た友達とはだいぶ違う。高柳君の服装はこの日の来客中でもっとも憐《あわ》れなる服装である。愛は贅沢《ぜいたく》である。美なるもののほかには価値を認めぬ。女はなおさらに価値を認めぬ。
 夫婦が高柳君と顔を見合せた時、夫婦共「これは」と思った。高柳君が夫婦と顔を見合せた時、同じく「これは」と思った。
 世の中は「これは」と思った時、引き返せぬものである。高柳君は蹌踉《そうろう》として進んでくる。夫婦の胸にはっときざした「これは」は、すぐと愛の光りに姿をかくす。
「やあ、よく来てくれた。あまり遅いから、どうしたかと思って心配していたところだった」偽《いつわ》りもない事実である。ただ「これは」と思った事だけを略したまでである。
「早く来《こ》ようと思ったが、つい用があって……」これも事実である。けれどもやはり「これは」が略されている。人間の交際にはいつでも「これは」が略される。略された「これは」が重なると、喧嘩《けんか》なしの絶交となる。親しき夫婦、親しき朋友《ほうゆう》が、腹のなかの「これは、これは」でなし崩《くず》しに愛想《あいそ》をつかし合っている。
「これが妻《さい》だ」と引き合わせる。一人坊《ひとりぼ》っちに美しい妻君を引き合わせるのは好意より出た罪悪である。愛の光りを浴びたものは、嬉《うれ》しさがはびこって、そんな事に頓着《とんじゃく》はない。
 何にも云わぬ細君はただしとやかに頭を下げた。高柳君はぼんやりしている。
「さあ、あちらへ――僕もいっしょに行こう」と歩を運《めぐ》らす。十間ばかりあるくと、夫婦はすぐ胡麻塩《ごましお》おやじにつらまった。
「や、どうもみごとな御庭ですね。こう広くはあるまいと思ってたが――いえ始めてで。おとっさんから時々御招きはあったが、いつでも折悪しく用事があって――どうも、よく御手入れが届いて、実に結構ですね……」
 と胡麻塩はのべつに述べたてて容易に動かない。ところへまた二三人がやってくる。
「結構だ」「何坪ですかな」「私も年来この辺《へん》を心掛けておりますが」などと新夫婦を取り捲《ま》いてしまう。高柳君は憮然《ぶぜん》として中心をはずれて立っている。
 すると向うから、襷《たすき》がけの女が駈けて来て、いきなり塩瀬《しおぜ》の五《いつ》つ紋《もん》をつらまえた。
「さあ、いらっしゃい」
「いらっしゃいたって、もうほかで御馳走《ごちそう》になっちまったよ」
「ずるいわ、あなたは、他《ひと》にこれほど馳《か》けずり廻らせて」
「旨《うま》いものも、ない癖に」
「あるわよ、あなた。まあいいからいらっしゃいてえのに」とぐいぐい引っ張る。塩瀬《しおぜ》は羽織が大事だから引かれながら行く、途端《とたん》に高柳君に突き当った。塩瀬はちょっと驚ろいて振り向いたまでは、粗忽《そこつ》をして恐れ入ったと云う面相《めんそう》をしていたが、高柳君の顔から服装を見るや否や、急に表情を変えた。
「やあ、こりゃ」と上からさげすむように云って、しかも立って見ている。
「いらっしゃいよ。いいからいらっしゃいよ。構わないでも、いいからいらっしゃいよ」と女は高柳君を後目《しりめ》にかけたなり塩瀬を引っ張って行く。
 高柳君はぽつぽつ歩き出した。若夫婦は遥《はる》かあなたに遮《さえぎ》られていっしょにはなれぬ。芝生《しばふ》の真中に長い天幕《テント》を張る。中を覗《のぞ》いて見たら、暗い所に大きな菊の鉢《はち》がならべてある。今頃こんな菊がまだあるかと思う。白い長い花弁が中心から四方へ数百片延び尽して、延び尽した端《はじ》からまた随意に反《そ》り返りつつ、あらん限りの狂態を演じているのがある。背筋《せすじ》の通った黄な片《ひら》が中へ中へと抱き合って、真中に大切なものを守護するごとく、こんもりと丸くなったのもある。松の鉢も見える。玻璃盤《はりばん》に堆《うずた》かく林檎《りんご》を盛ったのが、白い卓布《たくふ》の上に鮮《あざ》やかに映る。林檎の頬が、暗きうちにも光っている。蜜柑を盛った大皿もある。傍《そば》でけらけらと笑う声がする。驚ろいて振り向くと、しるくはっとを被《かぶ》った二人の若い男が、二人共|相好《そうごう》を崩《くず》している。
「妙だよ。実に」と一人が云う。
「珍だね。全く田舎者《いなかもの》なんだよ」と一人が云う。
 高柳君はじっと二人を見た。一人は胸開《むねあき》の狭い。模様のある胴衣《チョッキ》を着て、右手の親指を胴衣のぽっけっとへ突き込んだまま肘《ひじ》を張っている。一人は細い杖《つえ》に言訳《いいわけ》ほどに身をもたせて、護謨《ゴム》びき靴の右の爪先《つまさき》を、竪《たて》に地に突いて、左足一本で細長いからだの中心を支《ささ》えている。
「まるで給仕人《ウェーター》だ」と一本足が云う。
 高柳君は自分の事を云うのかと思った。すると色胴衣が
「本当にさ。園遊会に燕尾服《えんびふく》を着てくるなんて――洋行しないだってそのくらいな事はわかりそうなものだ」と相鎚《あいづち》を打っている。向うを見るとなるほど燕尾服がいる。しかも二人かたまって、何か話をしている。同類相集まると云う訳だろう。高柳君はようやくあれを笑ってるのだなと気がついた。しかしなぜ燕尾服が園遊会に適しないかはとうてい想像がつかなかった。
 芝生の行き当りに葭簀掛《よしずが》けの踊舞台《おどりぶたい》があって、何かしきりにやっている。正面は紅白の幕で庇《ひさし》をかこって、奥には赤い毛氈《もうせん》を敷いた長い台がある。その上に三味線を抱えた女が三人、抱えないのが二人並んでいる。弾《ひ》くものと唄《うた》うものと分業にしたのである。舞台の真中に金紙《きんがみ》の烏帽子《えぼし》を被《かぶ》って、真白に顔を塗りたてた女が、棹《さお》のようなものを持ったり、落したり、舞扇《まいおうぎ》を開いたり、つぼめたり、長い赤い袖《そで》を翳《かざ》したり、翳さなかったり、何でもしきりに身振《しな》をしている。半紙に墨黒々と朝妻船《あさづまぶね》とかいて貼《は》り出してあるから、おおかた朝妻船と云うものだろうと高柳君はしばらく後《うし》ろの方から小さくなって眺《なが》めていた。
 舞台を左へ切れると、御影《みかげ》の橋がある。橋の向《むこう》の築山《つきやま》の傍手《わきて》には松が沢山ある。松の間から暖簾《のれん》のようなものがちらちら見える。中で女がききと笑っている。橋を渡りかけた高柳君はまた引き返した。楽隊が一度に満庭の空気を動かして起る。
 そろそろと天幕《テント》の所まで帰って来る。今度は中を覗《のぞ》くのをやめにした。中は大勢でがやがやしている。入口へ回って見ると人で埋《うずま》って皿の音がしきりにする。若夫婦はどこにいるか見えぬ。
 しばらく様子を窺《うかが》っていると突然万歳と云う声がした。楽隊の音は消されてしまう。石橋の向うで万歳と云う返事がある。これは迷子《まいご》の万歳である。高柳君はのそりと疳違《かんちがい》をした客のように天幕のうちに這入《はい》った。
 皿だけ高く差し上げて人と人の間を抜けて来たものがある。
「さあ、御上《おあが》んなさい。まだあるんだが人が込んでて容易に手が届かない」と云う。高柳君は自分にくれるにしては目の見当が少し違うと思ったら、後《うし》ろの方で「ありがとう」と云う涼しい声がした。十七八の桃色縮緬《ももいろちりめん》の紋付をきた令嬢が皿をもらったまま立っている。
 傍にいた紳士が、天幕の隅《すみ》から一脚の椅子《いす》を持って来て、
「さあこの上へ御乗せなさい」と令嬢の前に据《す》えた。高柳君は一間ばかり左へ進む。天幕の柱に倚《よ》りかかって洋服と和服が煙草《たばこ》をふかしている。
「葉巻はやめたのかい」
「うん、頭にわるいそうだから――しかしあれを呑《の》みつけると、何だね、紙巻はとうてい呑めないね。どんな好《い》い奴《やつ》でも駄目だ」
「そりゃ、価段《ねだん》だけだから――一本三十銭と三銭とは比較にならないからな」
「君は何を呑むのだい」
「これを一つやって見たまえ」と洋服が鰐皮《わにがわ》の煙草入から太い紙巻を出す。
「なるほどエジプシアンか。これは百本五六円するだろう」
「安い割にはうまく呑めるよ」
「そうか――僕も紙巻でも始めようか。これなら日に二十本ずつにしても二十円ぐらいであがるからね」
 二十円は高柳君の全収入である。この紳士は高柳君の全収入を煙《けむ》にするつもりである。
 高柳君はまた左へ四尺ほど進んだ。二三人話をしている。
「この間ね、野添《のぞえ》が例の人造肥料会社を起すので……」と頭の禿《は》げた鼻の低い金歯を入れた男が云う。
「うん。ありゃ当ったね。旨《うま》くやったよ」と真四角な色の黒い、煙草入の金具のような顔が云う。
「君も賛成者のうちに名が見えたじゃないか」と胡麻塩頭《ごましおあたま》の最前《さいぜん》中野君を中途で強奪《ごうだつ》したおやじが云う。
「それさ」と今度は禿げの番である。「野添が、どうです少し持ってくれませんかと云うから、さようさ、わたしは今回はまあよしましょうと断わったのさ。ところが、まあ、そう云わずと、せめて五百株でも、実はもう貴所《あなた》の名前にしてあるんだからと云うのさ、面倒だからいい加減に挨拶《あいさつ》をして置いたら先生すぐ九州へ立って行った。それから二週間ほどして社へ出ると書記が野添さんの株が大変|上《あが》りました。五十円株が六十五円になりました。合計三万二千五百円になりましたと云うのさ」
「そりゃ豪勢だ、実は僕も少し持とうと思ってたんだが」と四角が云うと
「ありゃ実際意外だった。あんなに、とんとん拍子《びょうし》にあがろうとは思わなかった」と胡麻塩《ごましお》がしきりに胡麻塩頭を掻《か》く。
「もう少し踏み込んで沢山僕の名にして置けばよかった」と禿《はげ》は三万二千五百円以外に残念がっている。
 高柳君は恐る恐る三人の傍《そば》を通り抜けた。若夫婦に逢《あ》って挨拶して早く帰りたいと思って、見廻わすと一番奥の方に二人は黒いフロックと五色の袖《そで》に取り巻かれて、なかなか寄りつけそうもない。食卓はようやく人数が減った。しかし残っている食品はほとんどない。
「近頃は出掛けるかね」と云う声がする。仙台平《せんだいひら》をずるずる地びたへ引きずって白足袋《しろたび》に鼠緒《ねずお》の雪駄《せった》をかすかに出した三十|恰好《がっこう》の男だ。
「昨日|須崎《すさき》の種田家《たねだけ》の別荘へ招待されて鴨猟《かもりょう》をやった」と五分刈《ごぶがり》の浅黒いのが答えた。
「鴨にはまだ早いだろう」
「もういいね。十羽ばかり取ったがね。僕が十羽、大谷《おおたに》が七羽、加瀬《かせ》と山内《やまのうち》が八羽ずつ」
「じゃ君が一番か」
「いいや、斎藤は十五羽だ」
「へえ」と仙台平は感心している。
 同期の卒業生は多いなかに、たった五六人しか見えん。しかもあまり親しくないものばかりである。高柳君は挨拶だけして別段話もしなかったが、今となって見ると何だか恋しい心持ちがする。どこぞにおりはせぬかと見廻したが影も見えぬ。ことによると帰ったかも知れぬ。自分も帰ろう。
 主客《しゅかく》は一である。主《しゅ》を離れて客《かく》なく、客を離れて主はない。吾々が主客の別を立てて物我《ぶつが》の境《きょう》を判然と分劃《ぶんかく》するのは生存上の便宜《べんぎ》である。形を離れて色なく、色を離れて形なき強《し》いて個別するの便宜、着想を離れて技巧なく技巧を離れて着想なきをしばらく両体となすの便宜と同様である。一たびこの差別を立《りっ》したる時|吾人《ごじん》は一の迷路に入る。ただ生存は人生の目的なるが故《ゆえ》に、生存に便宜なるこの迷路は入る事いよいよ深くして出ずる事いよいよかたきを感ず。独《ひと》り生存の欲を一刻たりとも擺脱《はいだつ》したるときにこの迷《まよい》は破る事が出来る。高柳君はこの欲を刹那《せつな》も除去し得ざる男である。したがって主客を方寸に一致せしむる事のできがたき男である。主は主、客は客としてどこまでも膠着《こうちゃく》するが故に、一たび優勢なる客に逢うとき、八方より無形の太刀《たち》を揮《ふる》って、打ちのめさるるがごとき心地がする。高柳君はこの園遊会において孤軍重囲のうちに陥ったのである。
 蹌踉《そうろう》としてアーチを潜《くぐ》った高柳君はまた蹌踉としてアーチを出《いで》ざるを得ぬ。遠くから振り返って見ると青い杉の環《わ》の奥の方に天幕《テント》が小さく映って、幕のなかから、奇麗《きれい》な着物がかたまってあらわれて来た。あのなかに若い夫婦も交ってるのであろう。
 夫婦の方では高柳をさがしている。
「時に高柳はどうしたろう。御前《おまえ》あれから逢《あ》ったかい」
「いいえ。あなたは」
「おれは逢わない」
「もう御帰りになったんでしょうか」
「そうさ、――しかし帰るなら、ちっとは帰る前に傍《そば》へ来て話でもしそうなものだ」
「なぜ皆さんのいらっしゃる所へ出ていらっしゃらないのでしょう」
「損だね、ああ云う人は。あれで一人じゃやっぱり不愉快なんだ。不愉快なら出てくればいいのになおなお引き込んでしまう。気の毒な男だ」
「せっかく愉快にしてあげようと思って、御招きするのにね」
「今日は格別色がわるかったようだ」
「きっと御病気ですよ」
「やっぱり一人坊《ひとりぼ》っちだから、色が悪いのだよ」
 高柳君は往来をあるきながら、ぞっと悪寒《おかん》を催《もよお》した。

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