2008年11月10日月曜日

 白井道也《しらいどうや》は文学者である。
 八年|前《まえ》大学を卒業してから田舎《いなか》の中学を二三|箇所《かしょ》流して歩いた末、去年の春|飄然《ひょうぜん》と東京へ戻って来た。流す[#「流す」に傍点]とは門附《かどづけ》に用いる言葉で飄然[#「飄然」に傍点]とは徂徠《そらい》に拘《かか》わらぬ意味とも取れる。道也の進退をかく形容するの適否は作者といえども受合わぬ。縺《もつ》れたる糸の片端《かたはし》も眼を着《ちゃく》すればただ一筋の末とあらわるるに過ぎぬ。ただ一筋の出処《しゅっしょ》の裏には十重二十重《とえはたえ》の因縁《いんねん》が絡《から》んでいるかも知れぬ。鴻雁《こうがん》の北に去りて乙鳥《いっちょう》の南に来《きた》るさえ、鳥の身になっては相当の弁解があるはずじゃ。
 始めて赴任《ふにん》したのは越後《えちご》のどこかであった。越後は石油の名所である。学校の在《あ》る町を四五町隔てて大きな石油会社があった。学校のある町の繁栄は三|分《ぶ》二以上この会社の御蔭《おかげ》で維持されている。町のものに取っては幾個の中学校よりもこの石油会社の方が遥《はる》かにありがたい。会社の役員は金のある点において紳士《しんし》である。中学の教師は貧乏なところが下等に見える。この下等な教師と金のある紳士が衝突すれば勝敗《しょうはい》は誰が眼にも明《あきら》かである。道也はある時の演説会で、金力《きんりょく》と品性《ひんせい》と云《い》う題目のもとに、両者の必ずしも一致せざる理由を説明して、暗《あん》に会社の役員らの暴慢と、青年子弟の何らの定見もなくしていたずらに黄白万能主義《こうはくばんのうしゅぎ》を信奉するの弊《へい》とを戒《いまし》めた。
 役員らは生意気《なまいき》な奴《やつ》だと云った。町の新聞は無能の教師が高慢な不平を吐《は》くと評した。彼の同僚すら余計な事をして学校の位地を危うくするのは愚《ぐ》だと思った。校長は町と会社との関係を説いて、漫《みだり》に平地に風波を起すのは得策でないと説諭した。道也の最後に望を属《しょく》していた生徒すらも、父兄の意見を聞いて、身のほどを知らぬ馬鹿教師と云い出した。道也は飄然《ひょうぜん》として越後を去った。
 次に渡ったのは九州である。九州を中断してその北部から工業を除けば九州は白紙となる。炭礦《たんこう》の煙りを浴びて、黒い呼吸《いき》をせぬ者は人間の資格はない。垢光《あかびか》りのする背広の上へ蒼《あお》い顔を出して、世の中がこうの、社会がああの、未来の国民がなんのかのと白銅一個にさえ換算の出来ぬ不生産的な言説を弄《ろう》するものに存在の権利のあろうはずがない。権利のないものに存在を許すのは実業家の御慈悲《おじひ》である。無駄口を叩《たた》く学者や、蓄音機の代理をする教師が露命をつなぐ月々幾片《いくへん》の紙幣は、どこから湧《わ》いてくる。手の掌《ひら》をぽんと叩《たた》けば、自《おのず》から降る幾億の富の、塵《ちり》の塵の末を舐《な》めさして、生かして置くのが学者である、文士である、さては教師である。
 金《かね》の力で活《い》きておりながら、金を誹《そし》るのは、生んで貰った親に悪体《あくたい》をつくと同じ事である。その金を作ってくれる実業家を軽んずるなら食わずに死んで見るがいい。死ねるか、死に切れずに降参をするか、試《た》めして見ようと云って抛《ほう》り出された時、道也はまた飄然と九州を去った。
 第三に出現したのは中国|辺《へん》の田舎《いなか》である。ここの気風はさほどに猛烈な現金主義ではなかった。ただ土着のものがむやみに幅を利《き》かして、他県のものを外国人と呼ぶ。外国人と呼ぶだけならそれまでであるが、いろいろに手を廻《ま》わしてこの外国人を征服しようとする。宴会があれば宴会でひやかす。演説があれば演説であてこする。それから新聞で厭味《いやみ》を並べる。生徒にからかわせる。そうしてそれが何のためでもない。ただ他県のものが自分と同化せぬのが気に懸《かか》るからである。同化は社会の要素に違ない。仏蘭西《フランス》のタルドと云う学者は社会は模倣なりとさえ云うたくらいだ。同化は大切かも知れぬ。その大切さ加減は道也といえども心得ている。心得ているどころではない、高等な教育を受けて、広義な社会観を有している彼は、凡俗以上に同化の功徳《くどく》を認めている。ただ高いものに同化するか低いものに同化するかが問題である。この問題を解釈しないでいたずらに同化するのは世のためにならぬ。自分から云えば一分《いちぶん》が立たぬ。
 ある時旧藩主が学校を参観に来た。旧藩主は殿様で華族様である。所のものから云えば神様である。この神様が道也の教室へ這入《はい》って来た時、道也は別に意にも留めず授業を継続していた。神様の方では無論|挨拶《あいさつ》もしなかった。これから事が六《む》ずかしくなった。教場は神聖である。教師が教壇に立って業を授けるのは侍《さむらい》が物《もの》の具《ぐ》に身を固めて戦場に臨むようなものである。いくら華族でも旧藩主でも、授業を中絶させる権利はないとは道也の主張であった。この主張のために道也はまた飄然《ひょうぜん》として任地を去った。去る時に土地のものは彼を目《もく》して頑愚《がんぐ》だと評し合うたそうである。頑愚と云われたる道也はこの嘲罵《ちょうば》を背に受けながら飄然として去った。
 三《み》たび飄然と中学を去った道也は飄然と東京へ戻ったなり再び動く景色《けしき》がない。東京は日本で一番|世地辛《せちがら》い所である。田舎にいるほどの俸給を受けてさえ楽には暮せない。まして教職を抛《なげう》って両手を袂《たもと》へ入れたままで遣《や》り切《き》るのは、立ちながらみいら[#「みいら」に傍点]となる工夫《くふう》と評するよりほかに賞《ほ》めようのない方法である。
 道也には妻《さい》がある。妻と名がつく以上は養うべき義務は附随してくる。自《みず》からみいら[#「みいら」に傍点]となるのを甘んじても妻を干乾《ひぼし》にする訳《わけ》には行かぬ。干乾にならぬよほど前から妻君はすでに不平である。
 始めて越後《えちご》を去る時には妻君に一部始終《いちぶしじゅう》を話した。その時妻君はごもっともでござんすと云って、甲斐甲斐《かいがい》しく荷物の手拵《てごしらえ》を始めた。九州を去る時にもその顛末《てんまつ》を云って聞かせた。今度はまたですかと云ったぎり何にも口を開かなかった。中国を出る時の妻君の言葉は、あなたのように頑固《がんこ》ではどこへいらしっても落ちつけっこありませんわと云う訓戒的の挨拶《あいさつ》に変化していた。七年の間に三たび漂泊して、三たび漂泊するうちに妻君はしだいと自分の傍を遠退《とおの》くようになった。
 妻君が自分の傍を遠退くのは漂泊のためであろうか、俸禄《ほうろく》を棄《す》てるためであろうか。何度漂泊しても、漂泊するたびに月給が上がったらどうだろう。妻君は依然として「あなたのように……」と不服がましい言葉を洩《も》らしたろうか。博士にでもなって、大学教授に転任してもやはり「あなたのように……」が繰り返されるであろうか。妻君の了簡《りょうけん》は聞いて見なければ分らぬ。
 博士になり、教授になり、空《むな》しき名を空しく世間に謳《うた》わるるがため、その反響が妻君の胸に轟《とどろ》いて、急に夫《おっと》の待遇を変えるならばこの細君は夫の知己《ちき》とは云えぬ。世の中が夫を遇する朝夕《ちょうせき》の模様で、夫の価値を朝夕に変える細君は、夫を評価する上において、世間並《せけんなみ》の一人である。嫁《とつ》がぬ前、名を知らぬ前、の己《おの》れと異なるところがない。従って夫から見ればあかの他人である。夫を知る点において嫁ぐ前と嫁ぐ後《のち》とに変りがなければ、少なくともこの点において細君らしいところがないのである。世界はこの細君らしからぬ細君をもって充満している。道也は自分の妻《さい》をやはりこの同類と心得ているだろうか。至る所に容《い》れられぬ上に、至る所に起居を共にする細君さえ自分を解してくれないのだと悟ったら、定めて心細いだろう。
 世の中はかかる細君をもって充満していると云った。かかる細君をもって充満しておりながら、皆円満にくらしている。順境にある者が細君の心事をここまでに解剖する必要がない。皮膚病に罹《かか》ればこそ皮膚の研究が必要になる。病気も無いのに汚ないものを顕微鏡《けんびきょう》で眺《なが》めるのは、事なきに苦しんで肥柄杓《こえびしゃく》を振り廻すと一般である。ただこの順境が一転して逆落《さかおと》しに運命の淵《ふち》へころがり込む時、いかな夫婦の間にも気まずい事が起る。親子の覊絆《きずな》もぽつりと切れる。美くしいのは血の上を薄く蔽《おお》う皮の事であったと気がつく。道也はどこまで気がついたか知らぬ。
 道也の三たび去ったのは、好んで自から窮地に陥《おちい》るためではない。罪もない妻に苦労を掛けるためではなおさらない。世間が己《おの》れを容れぬから仕方がないのである。世が容れぬならなぜこちらから世に容れられようとはせぬ? 世に容れられようとする刹那《せつな》に道也は奇麗《きれい》に消滅してしまうからである。道也は人格において流俗《りゅうぞく》より高いと自信している。流俗より高ければ高いほど、低いものの手を引いて、高い方へ導いてやるのが責任である。高いと知りながらも低きにつくのは、自から多年の教育を受けながら、この教育の結果がもたらした財宝を床下《ゆかした》に埋《うず》むるようなものである。自分の人格を他に及ぼさぬ以上は、せっかくに築き上げた人格は、築きあげぬ昔と同じく無功力で、築き上げた労力だけを徒費した訳になる。英語を教え、歴史を教え、ある時は倫理さえ教えたのは、人格の修養に附随して蓄《たくわ》えられた、芸を教えたのである。単にこの芸を目的にして学問をしたならば、教場で書物を開いてさえいれば済む。書物を開いて飯を食って満足しているのは綱渡りが綱を渡って飯を食い、皿廻しが皿を廻わして飯を食うのと理論において異なるところはない。学問は綱渡りや皿廻しとは違う。芸を覚えるのは末の事である。人間が出来上るのが目的である。大小の区別のつく、軽重《けいちょう》の等差を知る、好悪《こうお》の判然する、善悪の分界を呑《の》み込んだ、賢愚、真偽、正邪の批判を謬《あや》まらざる大丈夫が出来上がるのが目的である。
 道也はこう考えている。だから芸を售《う》って口を糊《こ》するのを恥辱とせぬと同時に、学問の根底たる立脚地を離るるのを深く陋劣《ろうれつ》と心得た。彼が至る所に容れられぬのは、学問の本体に根拠地を構えての上の去就《きょしゅう》であるから、彼自身は内に顧《かえり》みて疚《やま》しいところもなければ、意気地がないとも思いつかぬ。頑愚《がんぐ》などと云う嘲罵《ちょうば》は、掌《てのひら》へ載《の》せて、夏の日の南軒《なんけん》に、虫眼鏡《むしめがね》で検査しても了解が出来ん。
 三度《みたび》教師となって三度追い出された彼は、追い出されるたびに博士よりも偉大な手柄《てがら》を立てたつもりでいる。博士はえらかろう、しかしたかが芸で取る称号である。富豪が製艦費を献納して従五位《じゅごい》をちょうだいするのと大した変りはない。道也が追い出されたのは道也の人物が高いからである。正しき人は神の造れるすべてのうちにて最も尊きものなりとは西の国の詩人の言葉だ。道を守るものは神よりも貴《たっと》しとは道也が追わるるごとに心のうちで繰り返す文句である。ただし妻君はかつてこの文句を道也の口から聞いた事がない。聞いても分かるまい。
 わからねばこそ餓《う》え死《じ》にもせぬ先から、夫に対して不平なのである。不平な妻《さい》を気の毒と思わぬほどの道也ではない。ただ妻の歓心を得るために吾《わ》が行く道を曲げぬだけが普通の夫と違うのである。世は単に人と呼ぶ。娶《めと》れば夫である。交《まじ》われば友である。手を引けば兄、引かるれば弟である。社会に立てば先覚者にもなる。校舎に入れば教師に違いない。さるを単に人と呼ぶ。人と呼んで事足るほどの世間なら単純である。妻君は常にこの単純な世界に住んでいる。妻君の世界には夫としての道也のほかには学者としての道也もない、志士としての道也もない。道を守り俗に抗する道也はなおさらない。夫が行く先き先きで評判が悪くなるのは、夫の才が足らぬからで、到《いた》る所に職を辞するのは、自から求むる酔興《すいきょう》にほかならんとまで考えている。
 酔興を三たび重ねて、東京へ出て来た道也は、もう田舎《いなか》へは行かぬと言い出した。教師ももうやらぬと妻君に打ち明けた。学校に愛想をつかした彼は、愛想をつかした社会状態を矯正《きょうせい》するには筆の力によらねばならぬと悟ったのである。今まではいずこの果《はて》で、どんな職業をしようとも、己《おの》れさえ真直であれば曲がったものは苧殻《おがら》のように向うで折れべきものと心得ていた。盛名はわが望むところではない。威望もわが欲するところではない。ただわが人格の力で、未来の国民をかたちづくる青年に、向上の眼《まなこ》を開かしむるため、取捨分別《しゅしゃふんべつ》の好例を自家身上に示せば足るとのみ思い込んで、思い込んだ通りを六年余り実行して、見事に失敗したのである。渡る世間に鬼はないと云うから、同情は正しき所、高き所、物の理窟《りくつ》のよく分かる所に聚《あつ》まると早合点《はやがてん》して、この年月《としつき》を今度こそ、今度こそ、と経験の足らぬ吾身《わがみ》に、待ち受けたのは生涯《しょうがい》の誤りである。世はわが思うほどに高尚なものではない、鑑識のあるものでもない。同情とは強きもの、富めるものにのみ随《したが》う影にほかならぬ。
 ここまで進んでおらぬ世を買い被《かぶ》って、一足飛《いっそくと》びに田舎へ行ったのは、地ならしをせぬ地面の上へ丈夫な家を建てようとあせるようなものだ。建てかけるが早いか、風と云い雨と云う曲者《くせもの》が来て壊《こわ》してしまう。地ならしをするか、雨風《あめかぜ》を退治《たいじ》るかせぬうちは、落ちついてこの世に住めぬ。落ちついて住めぬ世を住めるようにしてやるのが天下の士の仕事である。
 金《かね》も勢《いきおい》もないものが天下の士に恥じぬ事業を成すには筆の力に頼らねばならぬ。舌の援《たすけ》を藉《か》らねばならぬ。脳味噌《のうみそ》を圧搾《あっさく》して利他《りた》の智慧《ちえ》を絞《しぼ》らねばならぬ。脳味噌は涸《か》れる、舌は爛《ただ》れる、筆は何本でも折れる、それでも世の中が云う事を聞かなければそれまでである。
 しかし天下の士といえども食わずには働けない。よし自分だけは食わんで済むとしても、妻は食わずに辛抱《しんぼう》する気遣《きづかい》はない。豊かに妻を養わぬ夫は、妻の眼から見れば大罪人である。今年の春、田舎から出て来て、芝琴平町《しばことひらちょう》の安宿へ着いた時、道也と妻君の間にはこんな会話が起った。
「教師をおやめなさるって、これから何をなさるおつもりですか」
「別にこれと云うつもりもないがね、まあ、そのうち、どうかなるだろう」
「その内《うち》どうかなるだろうって、それじゃまるで雲を攫《つか》むような話しじゃありませんか」
「そうさな。あんまり判然《はんぜん》としちゃいない」
「そう呑気《のんき》じゃ困りますわ。あなたは男だからそれでようござんしょうが、ちっとは私の身にもなって見て下さらなくっちゃあ……」
「だからさ、もう田舎へは行かない、教師にもならない事にきめたんだよ」
「きめるのは御勝手ですけれども、きめたって月給が取れなけりゃ仕方がないじゃありませんか」
「月給がとれなくっても金がとれれば、よかろう」
「金がとれれば……そりゃようござんすとも」
「そんなら、いいさ」
「いいさって、御金がとれるんですか、あなた」
「そうさ、まあ取れるだろうと思うのさ」
「どうして?」
「そこは今考え中だ。そう着《ちゃく》、早々《そうそう》計画が立つものか」
「だから心配になるんですわ。いくら東京にいるときめたって、きめただけの思案《しあん》じゃ仕方がないじゃありませんか」
「どうも御前《おまえ》はむやみに心配性でいけない」
「心配もしますわ、どこへいらしっても折合《おりあい》がわるくっちゃ、おやめになるんですもの。私が心配性なら、あなたはよっぽど癇癪持《かんしゃくも》ちですわ」
「そうかも知れない。しかしおれの癇癪は……まあ、いいや。どうにか東京で食えるようにするから」
「御兄《おあにい》さんの所へいらしって御頼みなすったら、どうでしょう」
「うん、それも好いがね。兄はいったい人の世話なんかする男じゃないよ」
「あら、そう何でも一人できめて御《お》しまいになるから悪るいんですわ。昨日《きのう》もあんなに親切にいろいろ言って下さったじゃありませんか」
「昨日か。昨日はいろいろ世話を焼くような事を言った。言ったがね……」
「言ってもいけないんですか」
「いけなかないよ。言うのは結構だが……あんまり当《あて》にならないからな」
「なぜ?」
「なぜって、その内だんだんわかるさ」
「じゃ御友達の方にでも願って、あしたからでも運動をなすったらいいでしょう」
「友達って別に友達なんかありゃしない。同級生はみんな散ってしまった」
「だって毎年年始状を御寄《およ》こしになる足立《あだち》さんなんか東京で立派にしていらっしゃるじゃありませんか」
「足立か、うん、大学教授だね」
「そう、あなたのように高くばかり構えていらっしゃるから人に嫌《きら》われるんですよ。大学教授だねって、大学の先生になりゃ結構じゃありませんか」
「そうかね。じゃ足立の所へでも行って頼んで見ようよ。しかし金さえ取れれば必ず足立の所へ行く必要はなかろう」
「あら、まだあんな事を云っていらっしゃる。あなたはよっぽど強情ね」
「うん、おれはよっぽど強情だよ」

 午《ご》に逼《せま》る秋の日は、頂《いただ》く帽を透《とお》して頭蓋骨《ずがいこつ》のなかさえ朗《ほがら》かならしめたかの感がある。公園のロハ台はそのロハ台たるの故《ゆえ》をもってことごとくロハ的に占領されてしまった。高柳君《たかやなぎくん》は、どこぞ空《あ》いた所はあるまいかと、さっきからちょうど三度日比谷を巡回した。三度巡回して一脚の腰掛も思うように我を迎えないのを発見した時、重そうな足を正門のかたへ向けた。すると反対の方から同年輩の青年が早足に這入《はい》って来て、やあと声を掛けた。
「やあ」と高柳君も同じような挨拶《あいさつ》をした。
「どこへ行ったんだい」と青年が聞く。
「今ぐるぐる巡《まわ》って、休もうと思ったが、どこも空《あ》いていない。駄目《だめ》だ、ただで掛けられる所はみんな人が先へかけている。なかなか抜目《ぬけめ》はないもんだな」
「天気がいいせいだよ。なるほど随分人が出ているね。――おい、あの孟宗藪《もうそうやぶ》を回って噴水の方へ行く人を見たまえ」
「どれ。あの女か。君の知ってる人かね」
「知るものか」
「それじゃ何で見る必要があるのだい」
「あの着物の色さ」
「何だか立派なものを着ているじゃないか」
「あの色を竹藪の傍へ持って行くと非常にあざやかに見える。あれは、こう云う透明な秋の日に照らして見ないと引き立たないんだ」
「そうかな」
「そうかなって、君そう感じないか」
「別に感じない。しかし奇麗《きれい》は奇麗だ」
「ただ奇麗だけじゃ可哀想《かわいそう》だ。君はこれから作家になるんだろう」
「そうさ」
「それじゃもう少し感じが鋭敏でなくっちゃ駄目だぜ」
「なに、あんな方は鈍くってもいいんだ。ほかに鋭敏なところが沢山あるんだから」
「ハハハハそう自信があれば結構だ。時に君せっかく逢《あ》ったものだから、もう一遍あるこうじゃないか」
「あるくのは、真平《まっぴら》だ。これからすぐ電車へ乗って帰えらないと午食《ひるめし》を食い損《そく》なう」
「その午食を奢《おご》ろうじゃないか」
「うん、また今度にしよう」
「なぜ? いやかい」
「厭《いや》じゃない――厭じゃないが、始終|御馳走《ごちそう》にばかりなるから」
「ハハハ遠慮か。まあ来たまえ」と青年は否応《いやおう》なしに高柳君を公園の真中の西洋料理屋へ引っ張り込んで、眺望《ちょうぼう》のいい二階へ陣を取る。
 注文の来る間、高柳君は蒼《あお》い顔へ両手で突《つ》っかい棒《ぼう》をして、さもつかれたと云う風に往来を見ている。青年は独《ひと》りで「ふんだいぶ広いな」「なかなか繁昌《はんじょう》すると見える」「なんだ、妙な所へ姿見の広告などを出して」などと半分口のうちで云うかと思ったら、やがて洋袴《ズボン》の隠袋《かくし》へ手を入れて「や、しまった。煙草《たばこ》を買ってくるのを忘れた」と大きな声を出した。
「煙草なら、ここにあるよ」と高柳君は「敷島」の袋を白い卓布《たくふ》の上へ抛《ほう》り出す。
 ところへ下女が御誂《おあつらえ》を持ってくる。煙草に火を点《つ》ける間《ま》はなかった。
「これは樽麦酒《たるビール》だね。おい君樽麦酒の祝杯を一つ挙《あ》げようじゃないか」と青年は琥珀色《こはくいろ》の底から湧《わ》き上がる泡《あわ》をぐいと飲む。
「何の祝杯を挙げるのだい」と高柳君は一口飲みながら青年に聞いた。
「卒業祝いさ」
「今頃卒業祝いか」と高柳君は手のついた洋盃《コップ》を下へおろしてしまった。
「卒業は生涯《しょうがい》にたった一度しかないんだから、いつまで祝ってもいいさ」
「たった一度しかないんだから祝わないでもいいくらいだ」
「僕とまるで反対だね。――姉さん、このフライは何だい。え? 鮭《さけ》か。ここん所《とこ》へ君、このオレンジの露をかけて見たまえ」と青年は人指指《ひとさしゆび》と親指の間からちゅうと黄色い汁を鮭の衣《ころも》の上へ落す。庭の面《おもて》にはらはらと降る時雨《しぐれ》のごとく、すぐ油の中へ吸い込まれてしまった。
「なるほどそうして食うものか。僕は装飾についてるのかと思った」
 姿見の札幌麦酒《さっぽろビール》の広告の本《もと》に、大きくなって構えていた二人の男が、この時急に大きな破《わ》れるような声を出して笑い始めた。高柳君はオレンジをつまんだまま、厭な顔をして二人を見る。二人はいっこう構わない。
「いや行くよ。いつでも行くよ。エヘヘヘヘ。今夜行こう。あんまり気が早い。ハハハハハ」
「エヘヘヘヘ。いえね、実はね、今夜あたり君を誘って繰り出そうと思っていたんだ。え? ハハハハ。なにそれほどでもない。ハハハハ。そら例のが、あれでしょう。だから、どうにもこうにもやり切れないのさ。エヘヘヘヘ、アハハハハハハ」
 土鍋《どなべ》の底のような赭《あか》い顔が広告の姿見に写って崩《くず》れたり、かたまったり、伸びたり縮んだり、傍若無人《ぼうじゃくぶじん》に動揺している。高柳君は一種異様な厭な眼つきを転じて、相手の青年を見た。
「商人だよ」と青年が小声に云う。
「実業家かな」と高柳君も小声に答えながら、とうとうオレンジを絞《しぼ》るのをやめてしまった。
 土鍋の底は、やがて勘定を払って、ついでに下女にからかって、二階を買い切ったような大きな声を出して、そうして出て行った。
「おい中野君」
「むむ?」と青年は鳥の肉を口いっぱい頬張《ほおば》っている。
「あの連中《れんじゅう》は世の中を何と思ってるだろう」
「何とも思うものかね。ただああやって暮らしているのさ」
「羨《うら》やましいな。どうかして――どうもいかんな」
「あんなものが羨しくっちゃ大変だ。そんな考だから卒業祝に同意しないんだろう。さあもう一杯景気よく飲んだ」
「あの人が羨ましいのじゃないが、ああ云う風に余裕があるような身分が羨ましい。いくら卒業したってこう奔命《ほんめい》に疲れちゃ、少しも卒業のありがた味はない」
「そうかなあ、僕なんざ嬉《うれ》しくってたまらないがなあ。我々の生命はこれからだぜ。今からそんな心細い事を云っちゃあしようがない」
「我々の生命はこれからだのに、これから先が覚束《おぼつか》ないから厭《いや》になってしまうのさ」
「なぜ? 何もそう悲観する必要はないじゃないか、大《おおい》にやるさ。僕もやる気だ、いっしょにやろう。大に西洋料理でも食って――そらビステキが来た。これでおしまいだよ。君ビステキの生焼《なまやき》は消化がいいって云うぜ。こいつはどうかな」と中野君は洋刀《ナイフ》を揮《ふる》って厚切《あつぎ》りの一片《いっぺん》を中央《まんなか》から切断した。
「なあるほど、赤い。赤いよ君、見たまえ。血が出るよ」
 高柳君は何にも答えずにむしゃむしゃ赤いビステキを食い始めた。いくら赤くてもけっして消化がよさそうには思えなかった。
 人にわが不平を訴えんとするとき、わが不平が徹底せぬうち、先方から中途半把《ちゅうとはんぱ》な慰藉《いしゃ》を与えらるるのは快《こころ》よくないものだ。わが不平が通じたのか、通じないのか、本当に気の毒がるのか、御世辞《おせじ》に気の毒がるのか分らない。高柳君はビステキの赤さ加減を眺《なが》めながら、相手はなぜこう感情が粗大《そだい》だろうと思った。もう少し切り込みたいと云う矢先《やさき》へ持って来て、ざああと水を懸《か》けるのが中野君の例である。不親切な人、冷淡な人ならば始めからそれ相応の用意をしてかかるから、いくら冷たくても驚ろく気遣《きづかい》はない。中野君がかような人であったなら、出鼻をはたかれてもさほどに口惜《くや》しくはなかったろう。しかし高柳君の眼に映ずる中野輝一《なかのきいち》は美しい、賢こい、よく人情を解して事理を弁《わきま》えた秀才である。この秀才が折々この癖を出すのは解《かい》しにくい。
 彼らは同じ高等学校の、同じ寄宿舎の、同じ窓に机を並べて生活して、同じ文科に同じ教授の講義を聴いて、同じ年のこの夏に同じく学校を卒業したのである。同じ年に卒業したものは両手の指を二三度屈するほどいる。しかしこの二人ぐらい親しいものはなかった。
 高柳君は口数をきかぬ、人交《ひとまじわ》りをせぬ、厭世家《えんせいか》の皮肉屋と云われた男である。中野君は鷹揚《おうよう》な、円満な、趣味に富んだ秀才である。この両人《ふたり》が卒然と交《まじわり》を訂《てい》してから、傍目《はため》にも不審と思われるくらい昵懇《じっこん》な間柄《あいだがら》となった。運命は大島《おおしま》の表と秩父《ちちぶ》の裏とを縫い合せる。
 天下に親しきものがただ一人《ひとり》あって、ただこの一人よりほかに親しきものを見出し得ぬとき、この一人は親でもある、兄弟でもある。さては愛人である。高柳君は単なる朋友《ほうゆう》をもって中野君を目《もく》してはおらぬ。その中野君がわが不平を残りなく聞いてくれぬのは残念である。途中で夕立に逢って思う所へ行かずに引き返したようなものである。残りなく聞いてくれぬ上に、呑気《のんき》な慰藉《いしゃ》をかぶせられるのはなおさら残念だ。膿《うみ》を出してくれと頼んだ腫物《しゅもつ》を、いい加減の真綿《まわた》で、撫《な》で廻わされたってむず痒《がゆ》いばかりである。
 しかしこう思うのは高柳君の無理である。御雛様《おひなさま》に芸者の立《た》て引《ひ》きがないと云って攻撃するのは御雛様の恋を解《かい》せぬものの言草《いいぐさ》である。中野君は富裕《ふゆう》な名門に生れて、暖かい家庭に育ったほか、浮世の雨風は、炬燵《こたつ》へあたって、椽側《えんがわ》の硝子戸越《ガラスどごし》に眺《なが》めたばかりである。友禅《ゆうぜん》の模様はわかる、金屏《きんびょう》の冴《さ》えも解せる、銀燭《ぎんしょく》の耀《かがや》きもまばゆく思う。生きた女の美しさはなおさらに眼に映る。親の恩、兄弟の情、朋友の信、これらを知らぬほどの木強漢《ぼっきょうかん》では無論ない。ただ彼の住む半球には今までいつでも日が照っていた。日の照っている半球に住んでいるものが、片足をとんと地に突いて、この足の下に真暗な半球があると気がつくのは地理学を習った時ばかりである。たまには歩いていて、気がつかぬとも限らぬ。しかしさぞ暗い事だろうと身に沁《し》みてぞっとする事はあるまい。高柳君はこの暗い所に淋しく住んでいる人間である。中野君とはただ大地を踏まえる足の裏が向き合っているというほかに何らの交渉もない。縫い合わされた大島の表と秩父の裏とは覚束《おぼつか》なき針の目を忍んで繋《つな》ぐ、細い糸の御蔭《おかげ》である。この細いものを、するすると抜けば鹿児島県と埼玉県の間には依然として何百里の山河《さんが》が横《よこた》わっている。歯を病《や》んだ事のないものに、歯の痛みを持って行くよりも、早く歯医者に馳《か》けつけるのが近道だ。そう痛がらんでもいいさと云われる病人は、けっして慰藉を受けたとは思うまい。
「君などは悲観する必要がないから結構だ」と、ビステキを半分で断念した高柳君は敷島をふかしながら、相手の顔を眺めた。相手は口をもがもがさせながら、右の手を首と共に左右に振ったのは、高柳君に同意を表しないのと見える。
「僕が悲観する必要がない? 悲観する必要がないとすると、つまりおめでたい人間と云う意味になるね」
 高柳君は覚えず、薄い唇《くちびる》を動かしかけたが、微《かす》かな漣《さざなみ》は頬《ほお》まで広がらぬ先に消えた。相手はなお言葉をつづける。
「僕だって三年も大学にいて多少の哲学書や文学書を読んでるじゃないか。こう見えても世の中が、どれほど悲観すべきものであるかぐらいは知ってるつもりだ」
「書物の上でだろう」と高柳君は高い山から谷底を見下ろしたように云う。
「書物の上――書物の上では無論だが、実際だって、これでなかなか苦痛もあり煩悶《はんもん》もあるんだよ」
「だって、生活には困らないし、時間は充分あるし、勉強はしたいだけ出来るし、述作は思う通りにやれるし。僕に較《くら》べると君は実に幸福だ」と高柳君今度はさも羨《うらや》ましそうに嘆息する。
「ところが裏面はなかなかそんな気楽なんじゃないさ。これでもいろいろ心配があって、いやになるのだよ」と中野君は強《し》いて心配の所有権を主張している。
「そうかなあ」と相手は、なかなか信じない。
「そう君まで茶かしちゃ、いよいよつまらなくなる。実は今日あたり、君の所へでも出掛けて、大《おおい》に同情してもらおうかと思っていたところさ」
「訳《わけ》をきかせなくっちゃ同情も出来ないね」
「訳はだんだん話すよ。あんまり、くさくさするから、こうやって散歩に来たくらいなものさ。ちっとは察しるがいい」
 高柳君は今度は公然とにやにやと笑った。ちっとは察しるつもりでも、察しようがないのである。
「そうして、君はまたなんで今頃公園なんか散歩しているんだね」と中野君は正面から高柳君の顔を見たが、
「や、君の顔は妙だ。日の射《さ》している右側の方は大変血色がいいが、影になってる方は非常に色沢《いろつや》が悪い。奇妙だな。鼻を境に矛盾《むじゅん》が睨《にら》めこをしている。悲劇と喜劇の仮面《めん》を半々につぎ合せたようだ」と息もつがず、述べ立てた。
 この無心の評を聞いた、高柳君は心の秘密を顔の上で読まれたように、はっと思うと、右の手で額の方から顋《あご》のあたりまで、ぐるりと撫《な》で廻わした。こうして顔の上の矛盾をかき混《ま》ぜるつもりなのかも知れない。
「いくら天気がよくっても、散歩なんかする暇《ひま》はない。今日は新橋の先まで遺失品を探《さ》がしに行ってその帰りがけにちょっとついでだから、ここで休んで行こうと思って来たのさ」と顔を攪《か》き廻した手を顎《あご》の下へかって依然として浮かぬ様子をする。悲劇の面《めん》と喜劇の面をまぜ返えしたから通例の顔になるはずであるのに、妙に濁ったものが出来上ってしまった。
「遺失品て、何を落したんだい」
「昨日《きのう》電車の中で草稿《そうこう》を失って――」
「草稿? そりゃ大変だ。僕は書き上げた原稿が雑誌へ出るまでは心配でたまらない。実際草稿なんてものは、吾々《われわれ》に取って、命より大切なものだからね」
「なに、そんな大切な草稿でも書ける暇があるようだといいんだけれども――駄目だ」と自分を軽蔑《けいべつ》したような口調《くちょう》で云う。
「じゃ何の草稿だい」
「地理教授法の訳《やく》だ。あしたまでに届けるはずにしてあるのだから、今なくなっちゃ原稿料も貰えず、またやり直さなくっちゃならず、実に厭《いや》になっちまう」
「それで、探《さ》がしに行っても出て来《こ》ないのかい」
「来ない」
「どうしたんだろう」
「おおかた車掌が、うちへ持って行って、はたき[#「はたき」に傍点]でも拵《こしら》えたんだろう」
「まさか、しかし出なくっちゃ困るね」
「困るなあ自分の不注意と我慢するが、その遺失品係りの厭《いや》な奴《やつ》だ事って――実に不親切で、形式的で――まるで版行《はんこう》におしたような事をぺらぺらと一通り述べたが以上、何を聞いても知りません知りませんで持ち切っている。あいつは廿世紀の日本人を代表している模範的人物だ。あすこの社長もきっとあんな奴に違《ちがい》ない」
「ひどく癪《しゃく》に障《さわ》ったものだね。しかし世の中はその遺失品係りのようなのばかりじゃないからいいじゃないか」
「もう少し人間らしいのがいるかい」
「皮肉な事を云う」
「なに世の中が皮肉なのさ。今の世のなかは冷酷の競進会《きょうしんかい》見たようなものだ」と云いながら呑みかけの「敷島」を二階の欄干《てすり》から、下へ抛《な》げる途端《とたん》に、ありがとうと云う声がして、ぬっと門口《かどぐち》を出た二人連《ふたりづれ》の中折帽の上へ、うまい具合に燃殻《もえがら》が乗っかった。男は帽子から煙を吐いて得意になって行く。
「おい、ひどい事をするぜ」と中野君が云う。
「なに過《あやま》ちだ。――ありゃ、さっきの実業家だ。構うもんか抛《ほう》って置け」
「なるほどさっきの男だ。何で今までぐずぐずしていたんだろう。下で球《たま》でも突いていたのか知らん」
「どうせ遺失品係りの同類だから何でもするだろう」
「そら気がついた――帽子を取ってはたいている」
「ハハハハ滑稽《こっけい》だ」と高柳君は愉快そうに笑った。
「随分人が悪いなあ」と中野君が云う。
「なるほど善くないね。偶然とは申しながら、あんな事で仇《かたき》を打つのは下等だ。こんな真似をして嬉しがるようでは文学士の価値《ねうち》もめちゃめちゃだ」と高柳君は瞬時にしてまた元《もと》の浮かぬ顔にかえる。
「そうさ」と中野君は非難するような賛成するような返事をする。
「しかし文学士は名前だけで、その実は筆耕《ひっこう》だからな。文学士にもなって、地理教授法の翻訳の下働《したばたら》きをやってるようじゃ、心細い訳《わけ》だ。これでも僕が卒業したら、卒業したらって待っててくれた親もあるんだからな。考えると気の毒なものだ。この様子じゃいつまで待っててくれたって仕方がない」
「まだ卒業したばかりだから、そう急に有名にはなれないさ。そのうち立派な作物《さくぶつ》を出して、大《おおい》に本領を発揮する時に天下は我々のものとなるんだよ」
「いつの事やら」
「そう急《せ》いたって、いけない。追々新陳代謝してくるんだから、何でも気を永くして尻を据《す》えてかからなくっちゃ、駄目だ。なに、世間じゃ追々我々の真価を認めて来るんだからね。僕なんぞでも、こうやって始終《しじゅう》書いていると少しは人の口に乗るからね」
「君はいいさ。自分の好きな事を書く余裕があるんだから。僕なんか書きたい事はいくらでもあるんだけれども落ちついて述作なぞをする暇はとてもない。実に残念でたまらない。保護者でもあって、気楽に勉強が出来ると名作も出して見せるがな。せめて、何でもいいから、月々きまって六十円ばかり取れる口があるといいのだけれども、卒業前から自活はしていたのだが、卒業してもやっぱりこんなに困難するだろうとは思わなかった」
「そう困難じゃ仕方がない。僕のうちの財産が僕の自由になると、保護者になってやるんだがな」
「どうか願います。――実に厭《いや》になってしまう。君、今考えると田舎の中学の教師の口だって、容易にあるもんじゃないな」
「そうだろうな」
「僕の友人の哲学科を出たものなんか、卒業してから三年になるが、まだ遊《あす》んでるぜ」
「そうかな」
「それを考えると、子供の時なんか、訳もわからずに悪い事をしたもんだね。もっとも今とその頃とは時勢が違うから、教師の口も今ほど払底《ふってい》でなかったかも知れないが」
「何をしたんだい」
「僕の国の中学校に白井道也《しらいどうや》と云う英語の教師がいたんだがね」
「道也た妙な名だね。釜《かま》の銘《めい》にありそうじゃないか」
「道也《どうや》と読むんだか、何だか知らないが、僕らは道也、道也って呼んだものだ。その道也先生がね――やっぱり君、文学士だぜ。その先生をとうとうみんなして追い出してしまった」
「どうして」
「どうしてって、ただいじめて追い出しちまったのさ。なに良《い》い先生なんだよ。人物や何かは、子供だからまるでわからなかったが、どうも悪るい人じゃなかったらしい……」
「それで、なぜ追い出したんだい」
「それがさ、中学校の教師なんて、あれでなかなか悪るい奴がいるもんだぜ。僕らあ煽動《せんどう》されたんだね、つまり。今でも覚えているが、夜《よ》る十五六人で隊を組んで道也先生の家《うち》の前へ行ってワーって吶喊《とっかん》して二つ三つ石を投げ込んで来るんだ」
「乱暴だね。何だって、そんな馬鹿な真似《まね》をするんだい」
「なぜだかわからない。ただ面白いからやるのさ。おそらく吾々の仲間でなぜやるんだか知ってたものは誰もあるまい」
「気楽だね」
「実に気楽さ。知ってるのは僕らを煽動《せんどう》した教師ばかりだろう。何でも生意気《なまいき》だからやれって云うのさ」
「ひどい奴だな。そんな奴が教師にいるかい」
「いるとも。相手が子供だから、どうでも云う事を聞くからかも知れないが、いるよ」
「それで道也先生どうしたい」
「辞職しちまった」
「可哀想《かわいそう》に」
「実に気の毒な事をしたもんだ。定めし転任先をさがす間|活計《かっけい》に困ったろうと思ってね。今度逢ったら大《おおい》に謝罪の意を表するつもりだ」
「今どこにいるんだい」
「どこにいるか知らない」
「じゃいつ逢うか知れないじゃないか」
「しかしいつ逢うかわからない。ことによると教師の口がなくって死んでしまったかも知れないね。――何でも先生辞職する前に教場へ出て来て云った事がある」
「何て」
「諸君、吾々は教師のために生きべきものではない。道のために生きべきものである。道は尊《たっと》いものである。この理窟《りくつ》がわからないうちは、まだ一人前になったのではない。諸君も精出してわかるようにおなり」
「へえ」
「僕らは不相変《あいかわらず》教場内でワーっと笑ったあね。生意気だ、生意気だって笑ったあね。――どっちが生意気か分りゃしない」
「随分田舎の学校などにゃ妙な事があるものだね」
「なに東京だって、あるんだよ。学校ばかりじゃない。世の中はみんなこれなんだ。つまらない」
「時にだいぶ長話しをした。どうだ君。これから品川の妙花園《みょうかえん》まで行かないか」
「何しに」
「花を見にさ」
「これから帰って地理教授法を訳さなくっちゃならない」
「一日《いちんち》ぐらい遊んだってよかろう。ああ云う美くしい所へ行くと、好い心持ちになって、翻訳もはかが行くぜ」
「そうかな。君は遊びに行くのかい」
「遊《あそび》かたがたさ。あすこへ行って、ちょっと写生して来て、材料にしようと思ってるんだがね」
「何の材料に」
「出来たら見せるよ。小説をかいているんだ。そのうちの一章に女が花園《はなぞの》のなかに立って、小さな赤い花を余念《よねん》なく見詰《みつ》めていると、その赤い花がだんだん薄くなってしまいに真白になってしまうと云うところを書いて見たいと思うんだがね」
「空想小説かい」
「空想的で神秘的で、それで遠い昔しが何だかなつかしいような気持のするものが書きたい。うまく感じが出ればいいが。まあ出来たら読んでくれたまえ」
「妙花園なんざ、そんな参考にゃならないよ。それよりかうちへ帰ってホルマン・ハントの画《え》でも見る方がいい。ああ、僕も書きたい事があるんだがな。どうしても時がない」
「君は全体自然がきらいだから、いけない」
「自然なんて、どうでもいいじゃないか。この痛切な二十世紀にそんな気楽な事が云っていられるものか。僕のは書けば、そんな夢見たようなものじゃないんだからな。奇麗《きれい》でなくっても、痛くっても、苦しくっても、僕の内面の消息にどこか、触れていればそれで満足するんだ。詩的でも詩的でなくっても、そんな事は構わない。たとい飛び立つほど痛くっても、自分で自分の身体《からだ》を切って見て、なるほど痛いなと云うところを充分書いて、人に知らせてやりたい。呑気《のんき》なものや気楽なものはとうてい夢にも想像し得られぬ奥の方にこんな事実がある、人間の本体はここにあるのを知らないかと、世の道楽ものに教えて、おやそうか、おれは、まさか、こんなものとは思っていなかったが、云われて見るとなるほど一言《いちごん》もない、恐れ入ったと頭を下げさせるのが僕の願なんだ。君とはだいぶ方角が違う」
「しかしそんな文学は何だか心持ちがわるい。――そりゃ御随意だが、どうだい妙花園《みょうかえん》に行く気はないかい」
「妙花園へ行くひまがあれば一|頁《ページ》でも僕の主張をかくがなあ。何だか考えると身体がむずむずするようだ。実際こんなに呑気《のんき》にして、生焼《なまやき》のビステッキなどを食っちゃいられないんだ」
「ハハハハまたあせる。いいじゃないか、さっきの商人見たような連中《れんじゅう》もいるんだから」
「あんなのがいるから、こっちはなお仕事がしたくなる。せめて、あの連中の十|分《ぶ》一の金と時があれば、書いて見せるがな」
「じゃ、どうしても妙花園は不賛成かね」
「遅くなるもの。君は冬服を着ているが、僕はいまだに夏服だから帰りに寒くなって風でも引くといけない」
「ハハハハ妙な逃げ路を発見したね。もう冬服の時節だあね。着換えればいい事を。君は万事|無精《ぶしょう》だよ」
「無精で着換えないんじゃない。ないから着換えないんだ。この夏服だって、まだ一文も払っていやしない」
「そうなのか」と中野君は気の毒な顔をした。
 午飯《ひるめし》の客は皆去り尽して、二人が椅子《いす》を離れた頃はところどころの卓布《たくふ》の上に麺麭屑《パンくず》が淋しく散らばっていた。公園の中は最前よりも一層|賑《にぎや》かである。ロハ台は依然として、どこの何某《なにがし》か知らぬ男と知らぬ女で占領されている。秋の日は赫《かっ》として夏服の背中を通す。