2008年11月10日月曜日

 秋は次第に行く。虫の音《ね》はようやく細《ほそ》る。
 筆硯《ひっけん》に命を籠《こ》むる道也《どうや》先生は、ただ人生の一大事《いちだいじ》因縁《いんねん》に着《ちゃく》して、他《た》を顧《かえり》みるの暇《いとま》なきが故《ゆえ》に、暮るる秋の寒きを知らず、虫の音の細るを知らず、世の人のわれにつれなきを知らず、爪の先に垢《あか》のたまるを知らず、蛸寺《たこでら》の柿の落ちた事は無論知らぬ。動くべき社会をわが力にて動かすが道也先生の天職である。高く、偉《おお》いなる、公《おおや》けなる、あるものの方《かた》に一歩なりとも動かすが道也先生の使命である。道也先生はその他を知らぬ。
 高柳君はそうは行《ゆ》かぬ。道也先生の何事をも知らざるに反して、彼は何事をも知る。往来の人の眼つきも知る。肌寒《はださむ》く吹く風の鋭どきも知る。かすれて渡る雁《かり》の数も知る。美くしき女も知る。黄金《おうごん》の貴《たっと》きも知る。木屑《きくず》のごとく取り扱わるる吾身《わがみ》のはかなくて、浮世の苦しみの骨に食い入る夕々《ゆうべゆうべ》を知る。下宿の菜《さい》の憐れにして芋《いも》ばかりなるはもとより知る。知り過ぎたるが君の癖にして、この癖を増長せしめたるが君の病である。天下に、人間は殺しても殺し切れぬほどある。しかしこの病を癒《なお》してくれるものは一人もない。この病を癒してくれぬ以上は何千万人いるも、おらぬと同様である。彼は一人坊《ひとりぼ》っちになった。己《おの》れに足りて人に待つ事なき呑気《のんき》な一人坊っちではない。同情に餓《う》え、人間に渇《かつ》してやるせなき一人坊っちである。中野君は病気と云う、われも病気と思う。しかし自分を一人坊っちの病気にしたものは世間である。自分を一人坊っちの病気にした世間は危篤《きとく》なる病人を眼前に控えて嘯《うそぶ》いている。世間は自分を病気にしたばかりでは満足せぬ。半死の病人を殺さねばやまぬ。高柳君は世間を呪《のろ》わざるを得ぬ。
 道也先生から見た天地は人のためにする天地である。高柳君から見た天地は己れのためにする天地である。人のためにする天地であるから、世話をしてくれ手がなくても恨《うらみ》とは思わぬ。己れのためにする天地であるから、己れをかまってくれぬ世を残酷と思う。
 世話をするために生れた人と、世話をされに生れた人とはこれほど違う。人を指導するものと、人にたよるものとはこれほど違う。同じく一人坊っちでありながらこれほど違う。高柳君にはこの違いがわからぬ。
 垢染《あかじ》みた布団《ふとん》を冷《ひや》やかに敷いて、五分刈《ごぶが》りが七分ほどに延びた頭を薄ぎたない枕の上に横《よこた》えていた高柳君はふと眼を挙《あ》げて庭前《ていぜん》の梧桐《ごとう》を見た。高柳君は述作をして眼がつかれると必ずこの梧桐を見る。地理学教授法を訳して、くさくさすると必ずこの梧桐を見る。手紙を書いてさえ行き詰まるときっとこの梧桐を見る。見るはずである。三坪ほどの荒庭《あれにわ》に見るべきものは一本の梧桐を除いてはほかに何にもない。
 ことにこの間から、気分がわるくて、仕事をする元気がないので、あやしげな机に頬杖《ほおづえ》を突いては朝な夕なに梧桐《ごとう》を眺《なが》めくらして、うつらうつらとしていた。
 一葉《いちよう》落ちてと云う句は古い。悲しき秋は必ず梧桐から手を下《くだ》す。ばっさりと垣にかかる袷《あわせ》の頃は、さまでに心を動かす縁《よすが》ともならぬと油断する翌朝《よくあさ》またばさりと落ちる。うそ寒いからと早く繰る雨戸の外にまたばさりと音がする。葉はようやく黄ばんで来る。
 青いものがしだいに衰える裏から、浮き上がるのは薄く流した脂《やに》の色である。脂は夜ごとを寒く明けて、濃く変って行く。婆娑たる命は旦夕《たんせき》に逼《せま》る。
 風が吹く。どこから来るか知らぬ風がすうと吹く。黄ばんだ梢《こずえ》は動《ゆる》ぐとも見えぬ先に一葉二葉《ひとはふたは》がはらはら落ちる。あとはようやく助かる。

 脂は夜ごとの秋の霜《しも》にだんだん濃《こ》くなる。脂のなかに黒い筋が立つ。箒《ほうき》で敲《たた》けば煎餅《せんべい》を折るような音がする。黒い筋は左右へ焼けひろがる。もう危うい。
 風がくる。垣の隙《すき》から、椽《えん》の下から吹いてくる。危ういものは落ちる。しきりに落ちる。危ういと思う心さえなくなるほど梢《こずえ》を離れる。明らさまなる月がさすと枝の数が読まれるくらいあらわに骨が出る。
 わずかに残る葉を虫が食う。渋色《しぶいろ》の濃いなかにぽつりと穴があく。隣りにもあく、その隣りにもぽつりぽつりとあく。一面が穴だらけになる。心細いと枯れた葉が云う。心細かろうと見ている人が云う。ところへ風が吹いて来る。葉はみんな飛んでしまう。
 高柳君がふと眼を挙げた時、梧桐はすべてこれらの径路《けいろ》を通り越して、から坊主《ぼうず》になっていた。窓に近く斜《なな》めに張った枝の先にただ一枚の虫食葉《むしくいば》がかぶりついている。
「一人坊《ひとりぼ》っちだ」と高柳君は口のなかで云った。
 高柳君は先月あたりから、妙な咳《せき》をする。始めは気にもしなかった。だんだん腹に答えのない咳が出る。咳だけではない。熱も出る。出るかと思うとやむ。やんだから仕事をしようかと思うとまた出る。高柳君は首を傾けた。
 医者に行って見てもらおうかと思ったが、見てもらうと決心すれば、自分で自分を病気だと認定した事になる。自分で自分の病気を認定するのは、自分で自分の罪悪を認定するようなものである。自分の罪悪は判決を受けるまでは腹のなかで弁護するのが人情である。高柳君は自分の身体《からだ》を医師の宣告にかからぬ先に弁護した。神経であると弁護した。神経と事実とは兄弟であると云う事を高柳君は知らない。
 夜になると時々寝汗《ねあせ》をかく。汗で眼がさめる事がある。真暗《まっくら》ななかで眼がさめる。この真暗さが永久続いてくれればいいと思う。夜があけて、人の声がして、世間が存在していると云う事がわかると苦痛である。
 暗いなかをなお暗くするために眼を眠《ねむ》って、夜着《よぎ》のなかへ頭をつき込んで、もうこれぎり世の中へ顔が出したくない。このまま眠りに入って、眠りから醒《さ》めぬ間《ま》に、あの世に行ったら結構だろうと考えながら寝る。あくる日になると太陽は無慈悲にも赫奕《かくえき》として窓を照らしている。
 時計を出しては一日に脈《みゃく》を何遍となく験《けん》して見る。何遍験しても平脈《へいみゃく》ではない。早く打ち過ぎる。不規則に打ち過ぎる。どうしても尋常には打たない。痰《たん》を吐《は》くたびに眼を皿のようにして眺《なが》める。赤いものの見えないのが、せめてもの慰安である。
 痰《たん》に血の交《まじ》らぬのを慰安とするものは、血の交る時にはただ生きているのを慰安とせねばならぬ。生きているだけを慰安とする運命に近づくかも知れぬ高柳君は、生きているだけを厭《いと》う人である。人は多くの場合においてこの矛盾を冒《おか》す。彼らは幸福に生きるのを目的とする。幸福に生きんがためには、幸福を享受《きょうじゅ》すべき生そのものの必要を認めぬ訳には行かぬ。単なる生命は彼らの目的にあらずとするも、幸福を享《う》け得る必須条件《ひっすじょうけん》として、あらゆる苦痛のもとに維持せねばならぬ。彼らがこの矛盾を冒《おか》して塵界《じんかい》に流転《るてん》するとき死なんとして死ぬ能《あた》わず、しかも日ごとに死に引き入れらるる事を自覚する。負債を償《つぐな》うの目的をもって月々に負債を新たにしつつあると変りはない。これを悲酸《ひさん》なる煩悶《はんもん》と云う。
 高柳君は床《とこ》のなかから這《は》い出した。瓦斯糸《ガスいと》の蚊絣《かがすり》の綿入の上から黒木綿《くろもめん》の羽織を着る。机に向う。やっぱり翻訳をする了簡《りょうけん》である。四五日《しごんち》そのままにして置いた机の上には、障子の破れから吹き込んだ砂が一面に軽《かろ》くたまっている。硯《すずり》のなかは白く見える。高柳君は面倒だと見えて、塵《ちり》も吹かずに、上から水をさした。水入《みずいれ》に在《あ》る水ではない。五六輪の豆菊《まめぎく》を挿《さ》した硝子《ガラス》の小瓶《こびん》を花ながら傾けて、どっと硯の池に落した水である。さかに磨《す》り減らした古梅園《こばいえん》をしきりに動かすと、じゃりじゃり云う。高柳君は不愉快の眉《まゆ》をあつめた。不愉快の起る前に、不愉快を取り除く面倒をあえてせずして、不愉快の起った時に唇《くちびる》を噛《か》むのはかかる人の例である。彼は不愉快を忍ぶべく余り鋭敏である。しかしてあらかじめこれに備うべくあまり自棄《じき》である。
 机上に原稿紙を展《の》べた彼は、一時間ほど呻吟《しんぎん》してようやく二三枚黒くしたが、やがて打ちやるように筆を擱《お》いた。窓の外には落ち損《そく》なった一枚の桐《きり》の葉が淋しく残っている。
「一人坊《ひとりぼ》っちだ」と高柳君は口のうちでまた繰り返した。
 見るうちに、葉は少しく上に揺れてまた下に揺れた。いよいよ落ちる。と思う間に風ははたとやんだ。
 高柳君は巻紙を出して、今度は故里《ふるさと》の御母《おっか》さんの所へ手紙を書き始めた。「寒気《かんき》相加わり候処《そろところ》如何《いかが》御暮し被遊候《あそばされそろ》や。不相変《あいかわらず》御丈夫の事と奉遥察候《ようさつたてまつりそろ》。私事も無事」とまでかいて、しばらく考えていたが、やがてこの五六行を裂いてしまった。裂いた反古《ほご》を口へ入れてくちゃくちゃ噛《か》んでいると思ったら、ぽっと黒いものを庭へ吐き出した。
 一人坊っちの葉がまた揺れる。今度は右へ左へ二三度首を振る。その振りがようやく収《おさま》ったと思う頃、颯《さっ》と音がして、病葉《わくらば》はぽたりと落ちた。
「落ちた。落ちた」と高柳君はさも落ちたらしく云った。
 やがて三尺の押入を開《あ》けて茶色の中折《なかおれ》を取り出す。門口《かどぐち》へ出て空を仰ぐと、行く秋を重いものが上から囲んでいる。
「御婆さん、御婆さん」
 はいと婆さんが雑巾《ぞうきん》を刺す手をやめて出て来る。
「傘《かさ》をとって下さい。わたしの室《へや》の椽側《えんがわ》にある」
 降れば傘をさすまでも歩く考である。どこと云う目的《あて》もないがただ歩くつもりなのである。電車の走るのは電車が走るのだが、なぜ走るのだかは電車にもわかるまい。高柳君は自分があるくだけは承知している。しかしなぜあるくのだかは電車のごとく無意識である。用もなく、あてもなく、またあるきたくもないものを無理にあるかせるのは残酷である。残酷があるかせるのだから敵《かたき》は取れない。敵が取りたければ、残酷を製造した発頭人《ほっとうにん》に向うよりほかに仕方がない。残酷を製造した発頭人は世間である。高柳君はひとり敵の中をあるいている。いくら、あるいてもやっぱり一人坊《ひとりぼ》っちである。
 ぽつりぽつりと折々降ってくる。初時雨《はつしぐれ》と云うのだろう。豆腐屋《とうふや》の軒下に豆を絞《しぼ》った殻が、山のように桶《おけ》にもってある。山の頂《いただき》がぽくりと欠けて四面から煙が出る。風に連れて煙は往来へ靡《なび》く。塩物屋《しおものや》に鮭《さけ》の切身が、渋《さ》びた赤い色を見せて、並んでいる。隣りに、しらす干[#「しらす干」に傍点]がかたまって白く反《そ》り返る。鰹節屋《かつぶしや》の小僧が一生懸命に土佐節《とさぶし》をささらで磨《みが》いている。ぴかりぴかりと光る。奥に婚礼用の松が真青《まっさお》に景気を添える。葉茶屋《はぢゃや》では丁稚《でっち》が抹茶《まっちゃ》をゆっくりゆっくり臼《うす》で挽《ひ》いている。番頭は往来を睨《にら》めながら茶を飲んでいる。――「えっ、あぶねえ」と高柳君は突き飛ばされた。
 黒紋付の羽織に山高帽を被《かぶ》った立派な紳士が綱曳《つなひき》で飛んで行く。車へ乗るものは勢《いきおい》がいい。あるくものは突き飛ばされても仕方がない。「えっ、あぶねえ」と拳突《けんつく》を喰《く》わされても黙っておらねばならん。高柳君は幽霊のようにあるいている。
 青銅《からかね》の鳥居をくぐる。敷石の上に鳩が五六羽、時雨《しぐれ》の中を遠近《おちこち》している。唐人髷《とうじんまげ》に結《い》った半玉《はんぎょく》が渋蛇《しぶじゃ》の目《め》をさして鳩を見ている。あらい八丈《はちじょう》の羽織を長く着て、素足《すあし》を爪皮《つまかわ》のなかへさし込んで立った姿を、下宿の二階窓から書生が顔を二つ出して評している。柏手《かしわで》を打って鈴を鳴らして御賽銭《おさいせん》をなげ込んだ後姿が、見ている間《ま》にこっちへ逆戻《ぎゃくもどり》をする。黒縮緬《くろちりめん》へ三《み》つ柏《がしわ》の紋をつけた意気な芸者がすれ違うときに、高柳君の方に一瞥《いちべつ》の秋波《しゅうは》を送った。高柳君は鉛を背負《しょ》ったような重い心持ちになる。
 石段を三十六おりる。電車がごうっごうっと通る。岩崎《いわさき》の塀《へい》が冷酷に聳《そび》えている。あの塀へ頭をぶつけて壊《こわ》してやろうかと思う。時雨《しぐれ》はいつか休《や》んで電車の停留所に五六人待っている。背《せ》の高い黒紋付が蝙蝠傘《こうもり》を畳んで空を仰いでいた。
「先生」と一人坊《ひとりぼ》っちの高柳君は呼びかけた。
「やあ妙な所で逢《あ》いましたね。散歩かね」
「ええ」と高柳君は答えた。
「天気のわるいのによく散歩するですね。――岩崎の塀を三度|周《まわ》るといい散歩になる。ハハハハ」
 高柳君はちょっといい心持ちになった。
「先生は?」
「僕ですか、僕はなかなか散歩する暇なんかないです。不相変《あいかわらず》多忙でね。今日はちょっと上野の図書館まで調べ物に行ったです」
 高柳君は道也先生に逢《あ》うと何だか元気が出る。一人坊っちでありながら、こう平気にしている先生が現在世のなかにあると思うと、多少は心丈夫になると見える。
「先生もう少し散歩をなさいませんか」
「そう、少しなら、してもいい。どっちの方へ。上野はもうよそう。今通って来たばかりだから」
「私はどっちでもいいのです」
「じゃ坂を上《あが》って、本郷の方へ行きましょう。僕はあっちへ帰るんだから」
 二人は電車の路を沿うてあるき出した。高柳君は一人坊っちが急に二人坊っちになったような気がする。そう思うと空も広く見える。もう綱曳《つなひき》から突き飛ばされる気遣《きづかい》はあるまいとまで思う。
「先生」
「何ですか」
「さっき、車屋から突き飛ばされました」
「そりゃ、あぶなかった。怪我《けが》をしやしませんか」
「いいえ、怪我はしませんが、腹は立ちました」
「そう。しかし腹を立てても仕方がないでしょう。――しかし腹も立てようによるですな。昔し渡辺崋山《わたなべかざん》が松平侯の供先《ともさき》に粗忽《そこつ》で突き当ってひどい目に逢《あ》った事がある。崋山がその時の事を書いてね。――松平侯御横行――と云ってるですが。この御横行[#「御横行」に傍点]の三字が非常に面白いじゃないですか。尊《たっと》んで御《おん》の字をつけてるがその裏に立派な反抗心がある。気概がある。君も綱引御横行と日記にかくさ」
「松平侯って、だれですか」
「だれだか知れやしない。それが知れるくらいなら御横行はしないですよ。その時発憤した崋山はいまだに生きてるが、松平某なるものは誰も知りゃしない」
「そう思うと愉快ですが、岩崎の塀《へい》などを見ると頭をぶつけて、壊《こわ》してやりたくなります」
「頭をぶつけて、壊せりゃ、君より先に壊してるものがあるかも知れない。そんな愚《ぐ》な事を云わずに正々堂々と創作なら、創作をなされば、それで君の寿命は岩崎などよりも長く伝わるのです」
「その創作をさせてくれないのです」
「誰が」
「誰がって訳じゃないですが、出来ないのです」
「からだでも悪いですか」と道也先生横から覗《のぞ》き込む。高柳君の頬《ほお》は熱を帯びて、蒼《あお》い中から、ほてっている。道也は首を傾けた。
「君《きみ》坂を上がると呼吸《いき》が切れるようだが、どこか悪いじゃないですか」
 強《し》いて自分にさえ隠そうとする事を言いあてられると、言いあてられるほど、明白な事実であったかと落胆《がっかり》する。言いあてられた高柳君は暗い穴の中へ落ちた。人は知らず、かかる冷酷なる同情を加えて憚《はば》からぬが多い。
「先生」と高柳君は往来に立《た》ち留《ど》まった。
「何ですか」
「私は病人に見えるでしょうか」
「ええ、まあ、――少し顔色は悪いです」
「どうしても肺病でしょうか」
「肺病? そんな事はないです」
「いいえ、遠慮なく云って下さい」
「肺の気《け》でもあるんですか」
「遺伝です。おやじは肺病で死にました」
「それは……」と云ったが先生返答に窮した。
 膀胱《ぼうこう》にはち切れるばかり水を詰めたのを針ほどの穴に洩《も》らせば、針ほどの穴はすぐ白銅ほどになる。高柳君は道也の返答をきかぬがごとくに、しゃべってしまう。
「先生、私の歴史を聞いて下さいますか」
「ええ、聞きますとも」
「おやじは町で郵便局の役人でした。私が七つの年に拘引《こういん》されてしまいました」
 道也先生は、だまったまま、話し手といっしょにゆるく歩《ほ》を運ばして行く。
「あとで聞くと官金を消費したんだそうで――その時はなんにも知りませんでした。母にきくと、おとっさんは今に帰る、今に帰ると云ってました。――しかしとうとう帰って来ません。帰らないはずです。肺病になって、牢屋《ろうや》のなかで死んでしまったんです。それもずっとあとで聞きました。母は家を畳んで村へ引き込みました。……」
 向《むこう》から威勢のいい車が二梃束髪《にちょうそくはつ》の女を乗せてくる。二人はちょっとよける。話はとぎれる。
「先生」
「何ですか」
「だから私には肺病の遺伝があるんです。駄目です」
「医者に見せたですか」
「医者には――見せません。見せたって見せなくったって同じ事です」
「そりゃ、いけない。肺病だって癒《なお》らんとは限らない」
 高柳君は気味の悪い笑いを洩《も》らした。時雨《しぐれ》がはらはらと降って来る。からたち寺《でら》の門の扉に碧巌録提唱《へきがんろくていしょう》と貼《は》りつけた紙が際立《きわだ》って白く見える。女学校から生徒がぞろぞろ出てくる。赤や、紫や、海老茶《えびちゃ》の色が往来へちらばる。
「先生、罪悪も遺伝するものでしょうか」と女学生の間を縫いながら歩《ほ》を移しつつ高柳君が聞く。
「そんな事があるものですか」
「遺伝はしないでも、私は罪人の子です。切《せつ》ないです」
「それは切ないに違いない。しかし忘れなくっちゃいけない」
 警察署から手錠《てじょう》をはめた囚人が二人、巡査に護送されて出てくる。時雨《しぐれ》が囚人の髪にかかる。
「忘れても、すぐ思い出します」
 道也先生は少し大きな声を出した。
「しかしあなたの生涯《しょうがい》は過去にあるんですか未来にあるんですか。君はこれから花が咲く身ですよ」
「花が咲く前に枯れるんです」
「枯れる前に仕事をするんです」
 高柳君はだまっている。過去を顧《かえり》みれば罪である。未来を望めば病気である。現在は麺麭《パン》のためにする写字である。
 道也先生は高柳君の耳の傍《そば》へ口を持って来て云った。
「君は自分だけが一人坊《ひとりぼ》っちだと思うかも知れないが、僕も一人坊っちですよ。一人坊っちは崇高なものです」
 高柳君にはこの言葉の意味がわからなかった。
「わかったですか」と道也先生がきく。
「崇高――なぜ……」
「それが、わからなければ、とうてい一人坊っちでは生きていられません。――君は人より高い平面にいると自信しながら、人がその平面を認めてくれないために一人坊っちなのでしょう。しかし人が認めてくれるような平面ならば人も上《あが》ってくる平面です。芸者や車引《くるまひき》に理会されるような人格なら低いにきまってます。それを芸者や車引も自分と同等なものと思い込んでしまうから、先方から見くびられた時腹が立ったり、煩悶《はんもん》するのです。もしあんなものと同等なら創作をしたって、やっぱり同等の創作しか出来ない訳だ。同等でなければこそ、立派な人格を発揮する作物《さくぶつ》も出来る。立派な人格を発揮する作物が出来なければ、彼らからは見くびられるのはもっともでしょう」
「芸者や車引はどうでもいいですが……」
「例はだれだって同じ事です。同じ学校を同じに卒業した者だって変りはありません。同じ卒業生だから似たものだろうと思うのは教育の形式が似ているのを教育の実体が似ているものと考え違《ちがい》した議論です。同じ大学の卒業生が同じ程度のものであったら、大学の卒業生はことごとく後世に名を残すか、またはことごとく消えてしまわなくってはならない。自分こそ後世に名を残そうと力《りき》むならば、たとい同じ学校の卒業生にもせよ、ほかのものは残らないのだと云う事を仮定してかからなければなりますまい。すでにその仮定があるなら自分と、ほかの人とは同様の学士であるにもかかわらずすでに大差別があると自認した訳じゃありませんか。大差別があると自任しながら他《ひと》が自分を解してくれんと云って煩悶するのは矛盾です」
「それで先生は後世に名を残すおつもりでやっていらっしゃるんですか」
「わたしのは少し、違います。今の議論はあなたを本位にして立てた議論です。立派な作物を出して後世に伝えたいと云うのが、あなたの御希望のようだから御話しをしたのです」
「先生のが承《うけたまわ》る事が出来るなら、教えて頂けますまいか」
「わたしは名前なんてあてにならないものはどうでもいい。ただ自分の満足を得《う》るために世のために働くのです。結果は悪名になろうと、臭名《しゅうめい》になろうと気狂《きちがい》になろうと仕方がない。ただこう働かなくっては満足が出来ないから働くまでの事です。こう働かなくって満足が出来ないところをもって見ると、これが、わたしの道に相違ない。人間は道に従うよりほかにやりようのないものだ。人間は道の動物であるから、道に従うのが一番|貴《たっと》いのだろうと思っています。道に従う人は神も避けねばならんのです。岩崎の塀《へい》なんか何でもない。ハハハハ」
 剥《は》げかかった山高帽を阿弥陀《あみだ》に被《かぶ》って毛繻子張《けじゅすば》りの蝙蝠傘《こうもり》をさした、一人坊《ひとりぼ》っちの腰弁当の細長い顔から後光《ごこう》がさした。高柳君ははっと思う。
 往来のものは右へ左へ行く。往来の店は客を迎え客を送る。電車は出来るだけ人を載《の》せて東西に走る。織るがごとき街《ちまた》の中に喪家《そうか》の犬のごとく歩む二人は、免職になりたての属官と、堕落した青書生と見えるだろう。見えても仕方がない。道也はそれでたくさんだと思う。周作はそれではならぬと思う。二人は四丁目の角でわかれた。

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